2012年4月1日日曜日

『3月のライオン』を山岸俊男で科学する

『3月のライオン』7巻。ヒナへのイジメ問題。ネタバレなので要注意なのです。

「微細な初期値の差異が非常に大きな結果の違いをもたらす」

ここで、南洋のチョウの羽ばたきが生じさせた空気のわずかな動きが、回り回って台風となって日本上陸! みたいな例に筆者の心はときめきません。なぜなら「その」気まぐれな羽ばたきがあってもなくても、いずれにせよ毎年ほぼ決まった数の台風が発生し、そのうちいくつかは夏から秋にかけて日本にやって来るからです。

でも山岸俊男『「しがらみ」を科学する』で展開している「イジメの螺旋」プロセスは似て非なる魅力を放っています。
これは「同じクラスでも、イジメ排除に参加する人数という初期値の違いによって、イジメが発生するか否かという大きな結果の違いをもたらす」というもの。

例えばあるクラスに自分一人でもイジメを阻止するという硬骨漢もいれば、他に14人いれば参加するという生徒も、あるいは絶対自分は関与しないという生徒もいる。このクラスでイジメが発生し、たまたま14人がイジメ阻止に参加表明。これが初期値。このとき参加表明者に含まれる、他に14人いれば参加というパラメータを持つ生徒2人にとっては自分達以外は12人なので、参加者数ががしきい値を超えておらず、「やっぱりヤメますの」となる。他に12人の参加者が必要であった次の生徒にとっても他の参加者が11となってしまい、やはり「ワタシもやっぱりヤメますの」となって、、、結局イジメ阻止参加者はなし崩し的に一人になってしまう。この一人は「自分一人でもイジメに立ち向かう」硬骨漢ですね。で、多くの場合この硬骨漢もイジメの対象になってしまう。これが下向き螺旋プロセス。

まさに『3月のライオン』6巻までのヒナじゃありませんか。

下向き螺旋プロセスとは逆にイジメ阻止参加者初期値が15人だと、なし崩し的に参加者が増えていき、ほぼ全員がイジメ阻止に参加することになり結果としてイジメはなくなる。これが上向き螺旋プロセス。詳しく知りたい方は下記参考文献で学習してください。
もちろん、ひとたび下向き螺旋プロセスが進行し終わった状態で孤立するヒナの味方をする生徒がいきなり14人増えることはありませんね。羽海野チカ先生はそれほど甘くありません。

実は山岸俊男『心でっかちな日本人』のほうに同じ螺旋プロセスの説明があり、こちらではもう一つ重要なファクターの説明があります。先生です。
本当にイジメをなくす心意気がある先生(『心でっかちな日本人』では「熱血先生」)だと生徒が信用すれば、この先生はイジメ阻止参加者数の生徒何人分にも相当します。要はクラスの生徒がイジメ阻止に参加しても自分は不利益を被らない、と信用できるかどうかなのです。

『3月のライオン』7巻。
ヒナのクラスの担任が倒れたことによって学校側が問題を看過できなくなり、代わりに新担任を送り込んでくる。クラスの生徒達は学校側と新担任が本気であることを認識し、イジメ阻止参加者が加速度的に増えていき、最終的にイジメは解消。もちろん加害者と被害者で大団円、と簡単にはいかないのが現実の厳しさ。Gメン75的とでも言いましょうか(古い?)

さて、今日のインプリケーション。
集団における問題は「思いやりが希薄になった」というような心の問題ではなく、行動原理とインセンティブの組み合わせの問題である。
でもって、この問題意識というかフレームワークは日本的経営に適用され、ひいてはコーポレート・ガバナンスや会社法制に対する重要な視座と論点を提供する予定なのであります(あくまで予定)。


<参考文献>
羽海野チカ『3月のライオン』1〜7巻、白泉社
山岸俊男『「しがらみ」を科学する』筑摩書房、2011
山岸俊男『心でっかちな日本人』筑摩書房、2010 (オリジナルは日本経済新聞社、2002)

2012年3月9日金曜日

ソーシャルゲーム ガチャとRMT集中講座

ガチャが賭博にあたるのではないかという疑念が世の中でだいぶ高まってきたようだ。例えば下記のブログエントリは最新の新聞記事とブログ記事を参照しており、まとめとして優れている。

もと切込隊長ことやまもといちろう氏のブログ
ソーシャルゲーム(オンラインゲーム)のガチャがRMTと併せ技で賭博法に抵触の可能性について(追記あり)

一方で、ガチャとRMT(Real Money Trade;要するに換金)の関連は必ずしも明確ではなく、もう少し厳密な検討が必要だろう。

以前のエントリ「ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制についての予備的考察」でも指摘したように、賭博は違法であり、射幸心を煽ってはいけないけれど、風俗営業法の規制内でなら少しばかり強めの刺激も認めてあげる、というのがパチンコ/パチスロだ。
ソーシャルゲームのガチャはRMTによって換金が可能ゆえパチンコ/パチスロの三店方式のアナロジーでこれを問題視するなら、必然的にソーシャルゲームのガチャを風俗営業法の規制下におくべし、と主張することになろう。ソーシャルゲームは多少のギャンブル性を認めてもらう代わりにパチンコ店と同様に立地、営業時間、年齢制限、営業方法もろもろの規制に服することになる。

しかし。それはゲーム運営者、プレイヤー、警察方面の方々(規制者)の誰もが幸せにならない未来ではないのだろうか。
(規制者には新たな権益が入ると言う見方もあるでしょうが、規制者側ではたぶんパチンコ/パチスロに議論と関心を飛び火させるなという懸念の方が大きいのでは、などと背伸びして大人な妄想をしたり)
そもそも、換金と賭博罪について若干の誤解があるのかもしれない。

賭博は違法。「ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまる」場合はOK、と刑法185条は定めている。一時の娯楽に供するものとは、ちょっとした飲み物、食事程度を指す。ちなみに金銭そのものは一時の娯楽に供するものではないという判例があるので金額の大小に関わらず違法。なので、一時の娯楽に供するものを超える(まあ、高額なものと言って良いだろう)【モノ】も賭けたらダメなのである。
「金銭はダメでモノなら良い」は誤解。「アイテムをRMTで換金した途端に違法になる」も誤解。

ネットオークションという広く開かれた市場で取引されている値段はそのアイテムの客観的な時価を表すと考えられる。この客観性は価格の指標性、アクセス及び取引の容易さ、高い流動性を含む。ネットオークションにおいて一定の頻度で、数万円、場合によっては10万円を超す値段で取引されていれば、そのアイテムはどう考えても「一時の娯楽に供するもの」とは言えないだろう。

もう一つ、ガチャでゲーム運営会社の収益が数億円、数十億円単位で大きく向上する/したと仮定すると、そのこと自体が「一時の娯楽に供する」モノを賭けているとは言えず、まさに射幸心を煽っている状況だ。

もっとも、この点についてはゲーム運営側に反論の余地がある。ガチャのプレイ実績数(登録ユーザ数ではありませぬ)とガチャの合計収益を開示すれば良い。「多くのプレイヤーと少額な収益」でそれほど一人当たり多額のカネが動いていないなら杞憂でした、となるし、逆に(以下略)。

三店方式のアナロジーにこだわらず、1)客観的に高額と評価されるアイテムを得ようと2)多額の金銭が動いている点にフォーカスした方がシンプルな分、議論として強い気がするし、トレーディング・カードに比べてこっちの問題が際立つとも言えよう(トレーディング・カードの実情は良く知らないのですけれど)。
【今日の教訓】
RMTが直接的に問題なのではない。客観的に高額なアイテムを射幸心を煽る方法で提供することが問題。
いつも通り、考えながら調べながらの思考実験ですので、ご意見や情報がありましたら優しくご教示いただけますと幸いです。これまでも多くのフィードバックをいただき感謝です。

「木綿のハンカチーフ」(椎名林檎版)を聴きながら

2012年3月6日火曜日

年功序列と比較優位(その1)

年功序列。
言わずと知れた日本的経営の要諦で、勤続が長くなるほどに偉くなって給料が上がる仕組み。

典型的には、主任、係長、課長、次長、部長と上がっていき、さらに会社によってはこれらに代理や代行が組み合わされたり、「総務部長」と「総務部 部長」の使い分けがあったりと、外部から(いや内部でも)序列を正確に把握するのはなかなか簡単ではない。
いずれにせよ、これらの役職階段を一段一段上がっていくことは一般的に部下が増えることを意味している。要するに人事管理としてのマネジメント負担が昇進に比例して増大していくわけだ。

すると、一つ疑問が生じる。
「自分は職人で手を動かすのが好きだし、得意だ。人事管理なぞに煩わされたくない。」というエクスパート(専門職)な方々はどうなるのか。比較優位理論によれば、エクスパートはエクスパートに専念した方が会社にとっても日本全体にとってもプラスである。

この対応の一つが、先ほど挙げたように役職を巧妙に使い分けて「部下を持たない」管理職を作ることであり、またオモテの役職とは別にウラの資格で管理する制度である。
ここだけの話、これらはエクスパートのためというよりは、組織内の昇進レースの敗者を優しく包み込む役割の方が大きかったりするのだが、そういうことを公の場で論じてはいけない。
そんなことであれば、堂々とエクスパート制度を作れば良いではないか、と考えるのが自然な流れ。実際、筆者もかつてそう考えて試案を作ったのだ。
いわゆる一般コースでは役職が上がるにつれ給与に占める人事マネジメント相当分が増えていくように、エクスパート・コースでは何らかの業務を人並み以上にこなし(仮に特化業務と呼ぶ)、それが給与の増分を説明する。diversity(多様性)ですからね、これからは!

ところが。
筆者のエクスパート・コース試案は日の目を見ることはなかった。社内で支持を得られなかったのである。しかも意外なことにネガティブなのが経営者サイドよりも、むしろ現場に近い層だった。曰く、

「複数のコースがあるとキャリアプランが混乱し、部下を指導しにくい」
「エクスパートを誰が管理/評価するのか」
「仕事には人事マネジメントの経験と視点が必要である」
「結局、エクスパート・コースは言い訳に使われてしまい、ワークしない」

ハイハイ、皆さんがネガティブなのはわかりました。見送りですね。
どれ一つとっても決定的な理由にはなっていない気がするけれど、とにかく抵抗感は伝わってくる。筆者が思うに、要は、
「みな同じ前提で働くべし」
なんですね。この場合は「全員が同じ人事制度に乗っていなきゃ、やりにくい」と。少なくとも同じ部署や本部の中では。

長くなったので続く(かも)。

2012年2月27日月曜日

ソーシャルゲームのアイテム課金と会計基準

前回のエントリ「ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制(その3)」(以下「その3」)で取り上げた課金アイテムを引き続き検討。
(しつこくてすいません、あくまで私的な備忘録ですからっ!)

平成21年7月9日付 日本公認会計士協会 会計制度委員会研究報告第13号 「我が国の収益認識に関する研究報告(中間報告)」 ケース41はオンライン・ゲーム内におけるポイントの販売収益を取り上げている。ここでいうポイントはアイテム(カードを含む)を買うためのゲーム内通貨(コイン)も含んでいるので、ここではコインと表記する。

中間報告によれば、ソーシャルゲームにおける課金アイテム販売は役務の提供に分類されている。物品販売のような売り切りでなく、ネットワーク上でユーザにアイテムを利用させる継続的な役務ということであろう。
なるほど「その3」における業界側の主張とも密かに合致しているではないか。ならばその会計基準に従って考えてみよう。

コイン購入を経由した有料アイテムの購入は以下のように分解できる。

(ゲーム提供者から見て)
1) コインの販売
2) コインとの引き換えによるアイテム販売
3) ユーザによるアイテム利用開始
4) ユーザによるアイテム利用終了

中間報告によれば、役務の提供が終了するのは4)ユーザによるアイテム利用が終了したときである。

<返品権再論>
ここで経済産業省準則を再掲。
特定商取引法上の返品権が認められるのは「商品」及び「指定権利」の返品であり、役務提供契約については認められていない。これは、役務は一般的には返品が考えられないため (経済産業省 「電子商取引及び情報財取引等に関する準則」 )
役務の提供が終了した後での返品になじまない、ということで特定商取引法上の役務には返品権が認められない。だが、ソーシャルゲームのコインはアイテムの利用権引換権であって、英会話教室のチケットみたいなものだ。さらにコインとアイテムを交換した後でもユーザが当該アイテムを利用し終えるまでは役務の提供が完了していない。
特にユーザの投じた金額が大きい場合には、返品もしくは契約解除について慎重な検討が必要だろう。

<債務不履行>
このように、ソーシャルゲームのコイン及び購入された課金アイテムは、ともにゲーム提供者による役務の提供が終わっておらず、この状態で一方的にユーザのコインやアイテムが利用できないような事態が生じれば、ゲーム提供者の債務不履行である。
もちろん物事には重要性の原則があるわけで、僅少な金額なら「規約承認という事前の合意があった」と言えるだろうが、例えばユーザが数万円を投じて得たアイテムについてゲーム提供者が、規約を盾に自らの債務を履行せずユーザが支払った対価を手中に収めることは正当化できるのだろうか?

<implication>
わかりにくいので少し解説。
課金アイテム購入という取引の性質について、まず単発の物品販売か、継続的な役務の提供かという分類がある。ゲーム提供者側としては、
a)販売後もゲーム管理のため(例えば利用停止等)物品売切りではなくユーザに対して権利を留保したいし、
b)返品に係る規制回避のためにも継続的役務の提供と解釈したいだろう。
これは、「その3」で指摘したように運営側による「利用許諾(役務提供)」という主張と整合的だ。そして本エントリで見てきたように会計的にも課金アイテム販売は、役務の提供と位置づけられており、ゲーム提供者の考えと一致している。
このように継続的役務提供説に立つと、役務提供の終了時期はユーザがアイテムを利用し終わったときになる。そうであればゲーム提供者は、
a')ユーザがアイテムを利用し終わるまでユーザに対して管理のための権利を持つだけではなく、本旨に従ってユーザにアイテムを最後まで利用させる債務を負担しており、
b')さらに役務提供が終了していないのに前払金を預る場合(特に金額が大きい場合)の一般的な消費者保護問題も検討する必要があろう。

<付記>
あずさ監査法人による(中間報告)の解説
業種別収益認識基準の考察 第3回 ゲーム・オンラインビジネス等AZ Insight volume 39, 2010 May

※ 2012年2月28日 <implication> 追記

2012年2月22日水曜日

ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制(その3)

注目を集めているトピックを扱ったせいか、当シリーズは多くの方にご訪問いただき小心者の筆者は恐縮している一方で、せっかくなので2月6日のエントリ「ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制の予備的考察」(以下「予備的考察」)について、少し補足をしておきたい。

<風俗営業法と賭博>
「予備的考察」で、ガチャ等が射幸心を煽るのであれば風俗営業法の適用も視野に、と書いた。
これは一見すると新たな規制をソーシャルゲーム(のガチャ)に課すように思われるかもしれないが、真意はそこではない。

繰り返すが我が国で賭博は違法。射幸心を煽ってはいけないのである。射幸心を煽ってはいけないんだけど、まぁある程度以下ならね、ということで風俗営業法の規制の範囲内であれば営業が認めれられている。要するに、パチンコやパチスロは風俗営業法に従うことによって賭博罪の適用を回避しているわけだ。ちなみに宝くじや競馬等の公営ギャンブルはすべて特別法を根拠法に持つことで合法化されている。

では、風俗営業法の適用外で射幸心を煽ってしまったらどうなるか? もちろん違法である。賭博を行った者も、賭博サービスを提供した方も罪に問われる。ということは、風俗営業法(または特別法)の適用がないソーシャルゲームのガチャが【仮に】射幸心を煽る、即ち賭博とみなされた場合には。。。以下省略(小心者につき)。

なので射幸心を煽る恐れがあるとすれば、風俗営業法等の規制に従う方がむしろ業界とユーザのため、という考え方もあろう。

<課金アイテムと返品>
「予備的考察」で課金アイテムの購入は通信販売の返品にかかる規制が適用されると指摘した。これも話せば長いテクニカルな論点を含むお話。
特定商取引法上の返品権が認められるのは「商品」及び「指定権利」の返品であり、役務提供契約については認められていない。これは、役務は一般的には返品が考えられないため (経済産業省 「電子商取引及び情報財取引等に関する準則」 ,以下「準則」)
要するに「役務」には返品に関する同法上の規定が適用されない。ではソーシャルゲームの課金アイテムは「商品」か「指定権利」か「役務」か。

前回も取り上げた、消費者庁インターネット消費者取引連絡会第4回会合の資料に、
オンラインゲームの利用規約によっては、ユーザはゲーム内のアイテム等について”利用権”を有するのみで、”所有権”等の権利を有していない、利用資格を喪失場合は未使用分のコインは消滅する、当社が受領した料金等の払い戻しは一切行わない、と記載されていることもある(資料2-1「オンラインゲームによる相談事例」)
との記述がある。課金アイテムは”利用権”なんだから「商品」か「指定権利」に該当するもので、少なくとも「役務」ではなさそう。そうであれば返品に係る規制が適用される。

ところで同じインターネット消費者取引連絡会第4回会合の資料には気になる記載がある。ゲーム上の財産(アイテムや通貨)について、
※運営側の見解では、「財ではなく運営会社が所有するデータの使用許諾(役務提供)に過ぎない」(資料1「オンラインゲームの消費者トラブルについて」)
という。
ん? 使用許諾(役務提供)? ゲーム運営会社が許諾してプレイヤーが使用するのに「役務提供」って不自然では? 役務提供というのはこのコンテキストでは通常ゲーム運営会社が何らかの行為を行うことであって、ユーザがアイテム使用という行為を行う場合には当てはまらない気がする。
そしてこの何気ない記載が、
ソーシャルゲームにおける課金アイテム購入は「役務」の提供ですから返品規定は適用されませんよ!
というゲーム運営会社の周到な布石なのかもしれないと疑ってしまう自分はもう大人になり過ぎてしまったのかもしれないという自己批判とそんな布石を論破する思考実験との間で揺れ動く今日この頃なのであります。


<disclaimer>
いつもどおり考えながら調べながらの予備的メモですので、お気づきの点等がありましたら優しくご教示いただきますようお願いします。

2012年2月16日木曜日

ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制(その2)

2月6日のエントリ「ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制についての予備的考察」の続き。

本日16日、消費者庁のインターネット消費者取引連絡会の第4回会合が行われた。アジェンダと資料は消費者庁ホームページで公開されており、以下の通り。
  • 議事次第
  • 資料1 オンラインゲームの消費者トラブルについて
  • 資料2-1 オンラインゲームに関する相談事例
  • 資料2-2 特別相談「インターネット取引トラブル110番」の実施結果について
  • 資料3 事業概要および消費者対応に関する取組み
  • 資料4 DeNAのサービス概要と消費者対応について
  • 資料5 オンラインゲーム消費者トラブルの法律問題
  • 資料6 第3回インターネット消費者取引連絡会議事要旨
資料1「オンラインゲームの消費者トラブルについて」は一般社団法人ECネットワークがまとめたもので、p3「トラブル事例パターンと論点」でアイテム販売やガチャ課金方法について、論点として景品表示法違反の可能性と賭博該当性??(原文ママ)が挙げられている。
ここまでは実は昨年12月に行われた第3回会合の資料でも同様の記載があり目新しいものではなく、前回エントリで書いたとおり消費者庁「インターネット消費者取引に係る広告表示に関する景品表示法上の問題点及び留意事項」は、景品表示法の観点からはアイテム課金規制に対しては及び腰だし、ガチャは言及すらしていない。

今回はトラブル事例として未成年の高額課金が追加され、さらに資料5「オンラインゲーム消費者トラブルの法律問題」で森亮二弁護士(英知法律事務所)がいくつかの論点について法的検討を行っている。資料5 p5「オンラインゲームと賭博」では、
近時、現実のパチンコ店におけるパチンコ、パチスロ等とまったく同じ仕様のオンラインのパチンコ、パチスロ等が出てきている
とした上で、
オンラインのパチンコやゲームが急速に普及する状況下で、風適法(注1)の適用がない、オンラインのパチンコやゲームについての何らかのルール策定を検討する必要があるのではないか。
と規制の必要性を指摘している。これはガチャよりもネット上のパチンコ/パチスロを念頭に置いているようだ。今月、携帯賭博サイトが摘発されていることと関連があるのかもしれない。

せっかくなので、消費者庁及び関係者におかれましては当ブログをご一読いただき、ガチャも同様に賭博罪及び風俗営業法の観点で検討すると同時に、特定商取引法の兼ね合いも併せて検討して経過と結論を公表して欲しいものであります。


 (注1) 風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律。当ブログでは風俗営業法と表記

2012年2月12日日曜日

子育てとコーポレート・ガバナンス

突然ですが質問です。

「そんなんじゃ、皆に笑われるよ」と子供に言ったことがありますか?
お子さんがいない方は、自分がそう言われて育てられましたか?

筆者には小さな子供が二人いて、振り返ってみるととときどき言っている。

昨年12月のエントリ「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」と「「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」の背景」で書いたように、日本社会は市場志向の努力が進められる一方で、いわゆる旧来の日本的関係志向が強固に残っており、私見では2005年前後からむしろ日本的関係志向への揺り戻しすら感じる。

開国、明治維新に始める欧米文明移植から第二次世界大戦敗戦でいったんリセット方向修正、戦後民主主義のもとで高度経済成長を謳歌した後の近代化総仕上げとして1990年代後半に行われた市場化=欧米化改革で日本はグローバル化を完了。のはずだったのだが。。。

筆者はもう40代なので、20代、30代のときのように誰かを悪者に仕立てた陰謀説や日本もうダメ=アメリカ万歳説に与するのではなく「なぜ、どのように日本的伝統的価値観が社会に保存されるのか」を考えるべく改めて日本社会についての本を読んでみた。
そのうちの一冊がルース・ベネディクト『菊と刀』(1946)。言わずと知れた日本人論の古典で、彼女は日本を訪れたことがなかったが、文化人類学観点からなされたその考察は単なる歴史的興味ではなく【現代の】日本人論としても通じる鋭い指摘が多い。

『菊と刀』は指摘する。
日本では「赤ん坊と老人とに最大の自由と我が儘とが許されている」。この指摘で誰を我が儘老人として想起するかは各自にお任せするとして、本題はここから。
(幼少時に親にからかわれた)「このような経験は、成人した日本人に顕著に認められる、嘲笑とつまはじきに対する恐怖心を培う肥沃な土壌となる」 
「年長者は子供に向かって、「これこれのことをすれば、世間の人の笑いものになる」と言い聞かせる。」
 「これらの規則は、自分の意志を、しだいに増大していく、隣人、家族、ならびに国家に対する義務に服従せしめることを要求する。」

要するに、
他人から笑われれば恥である。自分の恥は自分の属する組織の恥である。周りに迷惑をかければ仲間はずれという懲罰を被る。

こうやって見てみると、まさにムラ社会の掟である。そして子育てにおけるこの掟の伝承は、まさにある環境下での生存戦略伝授に他ならない。

子育て中の我々もまたそのプロセスのまっ只中にいる。そう、子供に「そんなんじゃ笑われるよ」と言って躾を行うことは、進んだ西洋文化に対置される時代遅れの(?)日本的関係志向社会の維持を無意識のうちに担っているということだ。
では我々は市場化を推進したい場合、悔い改めて教育方針をリセットすべきなのか? 子供に「笑われますよ」と言えばたちまち守旧派になってしまうのか?

恐らくそう簡単ではない。先ほど「ある環境下での生存戦略」と述べた通り、現状の日本でうまくやっていくためには、現状の日本に合わせた行動がまずは必要なのだから。

今日はここまで。

2012年2月6日月曜日

ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制についての予備的考察

前回のエントリ「ステマ、サクラ規制に関する簡単な日米対比考察」に続いて、ソーシャルゲームにおけるアイテム課金といわゆるガチャについて考える。
<参考>
・2012年1月25日付 日経記事「ソーシャルゲームが抱える潜在リスク 「射幸心」あおる仕組みとは」(以下「日経記事」)
消費者庁「インターネット消費者取引に係る広告表示に関する景品表示法上の問題点及び留意事項」(以下「留意事項)は、口コミだけでなく、無料ゲームのアイテム課金の問題もフリーミアム類型として取り上げており、景品表示法上では「無料で利用できるサービスの具体的内容・範囲を正確かつ明瞭に表示」すれば問題ないとしている。

うーむ、それはそうなんだが。。。またしても違和感を感じてしまう。

アイテム課金の問題はユーザの十分な自覚なしに後からゲームで数万円、数十万円の請求をされたり、その中に未成年が含まれている場合だろう。これは購入意思決定の問題。さらに「日経記事」でも指摘されているように、この消費者庁「留意事項」はガチャに触れていない。こちらは購入意思決定の問題に加えて射幸性の問題。

<購入の意思決定>
人間は心の生き物であるからして、どこで、どんな状況でその買い物を決めたか、というのはとても重要である。意思主義なのである。だから法はクーリングオフの制度を定め、自発的意思でじっくり考えたのではない購入、例えば販売業者が自宅に押しかけてきた場合や、街を歩いていてキレイなお姉さんに誘われるままに素敵な絵画を買ってしまった場合などには一定の期間内に解約できることになっている。

この考え方を適用すれば、多額の支出の自覚なしに遊んだ後で数万円数十万円の請求が届いたり、未成年(またはその親)が高額な支払いを余儀なくされる問題があるなら、「じっくり考えて自発的に意思決定した」というプロセスが必要であるし、そうでない場合、特にゲーム提供者側にその非がある場合にはクーリングオフの適用も考えられるだろう(もちろんクーリングオフを推奨するのではなく、購入者が冷静に考えるプロセスを用意すべきという趣旨であります)。

ところでソーシャルゲームの課金アイテムは通常返品キャンセルが不可であろう。だとすれば課金アイテム購入は通信販売に当るから、返品に関する定めは見やすい箇所に表示するだけでなく、購入申込画面にも記載しなければならない(特定商取引法第15条の2第1項、特定商取引法施行規則第9条第3項、通信販売における返品特約の表示についてのガイドライン)。

要するに、課金アイテムを購入するたびに最終申込画面に明瞭に「キャンセル不可ですよ」と表示するか、さもなければ8日以内に返品可能だということになる。筆者は自分でこういったゲームを遊んだことがないので実際の表示がどうなってるかわかない。経験者の皆様よりご教示いただけると幸いであります。

<射幸性>
ガチャ。
スロットマシーンのようなもので結果により得られるアイテムの価値が大きく異なるなら、射幸心を煽ると考える余地は大きいだろう。そもそも高額な賞品を提供して射幸心を煽るのは賭博罪で違法(刑法第185条)。賞品が「一時の娯楽に供する」ならこの限りではないが、ガチャで得られた賞品がネットオークション等で数万円で取引されていたり、またその賞品欲しさにガチャで何万円も使ってしまうなら、ちょっと一時の娯楽に供するものというのは難しい気がする。

射幸心を煽る恐れがあるならパチンコやゲームセンターがそうであるように風俗営業法の適用も視野に入る(風俗営業法7号営業、8号営業)。仮にそうなるとこうしたゲームの提供には風俗営業法上の許可が必要になったり、未成年遊戯の可否、あるいは営業時間の制限等がかる。
もちろん現行風俗営業法は店舗営業が対象だけれど、法の趣旨に鑑みればネットへの対応も必要に応じて考慮する必要があろう。風俗営業法の目的の一つは「青少年の健全な育成」である。

さらに、ガチャもまたアイテム購入と考えれば、先に指摘した特定商取引法の返品に関する表示が必要。即ち、何回もチャレンジする場合には毎回表示される最終申込画面に「キャンセルできませんよ」という表示が明瞭に表示されることになる(そうでなければ事後でキャンセル可)。

<まとめ>
どうなんだろう? と思って自分で調べた備忘録を兼ねたpreliminaryな考察なので、ご指摘事項等ありましたらお知らせいただけるとうれしいです。突然の攻撃はご遠慮願います。羊のように小心者ですので。


<おまけ>
ネット先進国のお隣韓国では、ネット上のゲームに関する厳しい規制が導入されており、射幸性の強いゲームも禁止されていると聞く。ご存知の方がおられましたらご教示をお願いする次第であります。

2012年2月4日土曜日

ステマ、サクラ規制に関する簡単な日米対比考察

年明け早々カカクコムが運営するサイト「食べログ」の不正投稿が報道されて以来、ステマ(ステルス・マーケティング)がバズワードになっている。

・2012年1月4日付 日経報道 「「食べログ」にやらせ投稿 カカクコムが法的措置も
・2012年1月5日付 カカクコム社プレスリリース「本日の報道内容に関して

これを受けて消費者庁が調査を始めたとされるが、その後、現行の景品表示法では法的規制は難しいという消費者庁の認識も報道されており、なんとなくモヤモヤした状態が続いている。

「食べログ」騒動に対応して消費者庁がすぐに動いた(ように見える)のには伏線があって、既に一部で指摘されていたインターネット上のゲーム課金や口コミサイトへのサクラ投稿の問題を受けて、同庁は「インターネット消費者取引に係る広告表示に関する景品表示法上の問題点及び留意事項」(以下「留意事項」)を昨年10月に発表している。

ここでは口コミサイトへのサクラ投稿の問題に絞って話を進めよう。

「留意事項」によれば、現行の景品表示法で考える限り、サクラ投稿は「実際のもの又は競争事業者に係るものよりも著しく優良又は有利であると一般消費者に誤認されるものである場合には」不当表示として問題となる。飲食店(飲食店に依頼された第三者を含む)が地鶏の産地を偽る投稿を行うこと、が例示されている。産地偽装はステマやサクラから独立してそれ自体がルール違反だから、ステマやサクラは新たな問題を付加していないようにも読める。

うーん、そうなのか。なんとなく違和感が残る。なんだろう、この違和感の原因は?
ステマの本質的な問題は、投稿者(宣伝者)が第三者を装っているところでしょう。地鶏の産地の話じゃなくて。

広告規制が厳しいと言われる米国はどうなんだろうか。
さすが消費者庁、「留意事項」の中で米国の規制状況を引用している。2009年12月に連邦取引委員会(FTC)が公表した「広告における推薦及び証言の使用に関するガイドライン」(以下「米ガイドライン」がそれである。消費者庁「留意事項」の引用によれば「米ガイドライン」では、
この中でFTCは、広告主からブロガーに対して商品・サービスの無償での提供や記事掲載への対価の支払いがなされるなど、両社の間に重大なつながり(material connection)があった場合、広告主のこのような方法による虚偽の又はミスリーディングな広告行為は、FTC法第5条で違法とされる「欺瞞的な行為又は慣行」に当り、広告主は同法に基づく法的責任を負う、との解釈指針を示している。
ふむふむそうですか。日本と大きくは変わらないようですね。

ではFTCサイトで原文 "Guides Concerning the Use of Endorsement and Testimonials in Advertising" に当ってみましょう。いくつか頑張って和訳(誤訳御免)。
S255.1 (d) 広告主は、広告主以外の人物による推薦内容が誤っていたり裏付けがないときに、または広告主と推薦者の重大なつながり(筆者注;金銭的なやり取り等)が明示されないとき責任を負う。推薦者もまた推薦内容に責任を負う場合がある。
S255.1 Example 5 スキンケア商品の広告主がブログ広告サービスを使うと、同サービスはブログで広告主の商品の販促を担うブロガーを選び出し、広告主は新しいボディローションを試してレビューをブログに書いてくれるようブロガーに依頼する。広告主がそのボディローションの特定の効能について言及せず、ブロガーも効能の裏付けがあるかどうか広告主に質問しなかったが、ブロガーはこのボディローションで湿疹が治ると肌荒れに悩む読者にブログで推薦した。この場合、広告主はこのブロガーのミスリーディングまたは裏づけのない推薦に責任を負う。ブロガーも同様である。ブロガーはこのブログ広告サービスで報酬をもらっていることを明示しないと、この点についても責任を負う。
S255.2 (a) ユーザによる推薦を使用する広告は、その商品がその広告で描かれた目的に有効であることを表明したとみなされる。したがって、ユーザ推薦を用いることなく広告主自身が広告を作る場合と同じように、ユーザの推薦内容について、それを支持する適切な裏づけ、適当な場合には信頼できる科学的なエビデンスが必要である。ユーザの推薦自体は適切で信頼できる科学的エビデンスではない。
あらら、日本の「留意事項」に比べて厳しいんじゃないでしょうか。かなり。
  1. 推薦者が広告主から報酬(金銭、または無料商品)を得ている場合、それを明示しなければならない
  2. 広告主以外のユーザ等が商品の推薦を行う場合であっても、広告主はその推薦内容について、広告主自身が直接広告を行う場合と同様の裏付け(適当な場合には科学的根拠)が必要
特に1.の広告主との関係は、「口コミによる推薦に対する評価や信頼性に重要な影響を及ぼし得るので明示される必要がある」と「米ガイドライン」が規定しているのに対し、日本の「留意事項」では言及がない。というよりも先の引用で明らかなように意図的にこの点を避けているようにも見えますね。まぁ、景品表示法上では、という限界なのかもしれませんが。。。

まとめると、まず日本の「留意事項」を一読して感じる違和感と、アメリカの「米ガイドライン」を読んで明らかになる日米差異は同じ問題で、それは「広告主と口コミ投稿者との関係」。口コミ情報の信頼性に重要な影響を与えるこの関係について、アメリカでは明示を義務づけ、日本では特に規制なし(アメリカでの実際の運用がどのようなものかはわかりませんが)。

情報の信頼性はネット社会における重要な論点であり、「誰がその情報を発信したのか」、「誰がその情報を評価したのか」につながっていく。この点は日本でももう少し議論の必要があるようですね。

最後に「誰がその情報を発信したのか」、「誰がその情報を評価したのか」という現代的な課題について、前近代的と忌避される「伝統的日本社会=ムラ社会」が一つの解を提示していたという皮肉を付記しておきたい。

2011年12月18日日曜日

「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」の背景

前回のエントリ「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」を読み返してみると、筆者が守旧派を代表して大杉先生にケチをつけている!と受け取られてしまいそうなので急いで補足。「筆者は市場志向寄りの改革を支持しております!」

今を遡ること十数年前、伝統的日本的企業に勤める筆者は若かったこともあり会社組織の不合理さに嫌気がさしながらも下積みは大事だしと悶々鬱々の日々を送っていたけれど、パソコンそしてインターネットが浸透し始めるやその魅力に取りつかれた。個人が簡単に情報を収集/発信でき、海外とも瞬時に情報をやり取りできるネット時代の到来を目前に控え、日本社会にも大きな変化が起きると確信し、年功序列で成果能力無視の伝統的日本的企業は生き残れない、また自分でもIT革命に寄与したいとの思いで2000年にITベンチャーへ転職した。

このIT革命が進行した1990年代後半は、バブル経済崩壊を経て日本経済が旧い体質から生まれ変わろうとしていた時期に重なる。フリー、フェア、グローバルを旗印に市場原理導入のため金融市場、会計、会社法制の大改革が押し進められた。市場主義の前提となる個の確立は、インターネットとも相性が良い。これで経済合理性を欠く伝統的日本的経営は淘汰されようやく近代的資本主義経営に「進化」すると期待された。
宮島英昭で言えば「関係志向から市場志向」、山岸俊男なら「安心社会から信頼社会」、河合隼雄では「場の倫理から個の倫理」。今にして思えば、この期待の根底には遅れた状態からの進んだ状態へのキャッチアップという直線的歴史観が暗黙に仮定されていたと思われる。

ところが2011年12月現在。終身雇用、株式持合、部外者を排除する経営姿勢等が相変わらず日本的経営の特徴又は欠点として挙げられている。そして何より驚きなのは「革新的」「グローバル」に惹かれた若者が集まって10年前に生まれたベンチャー企業は、一部上場企業に成長した一方で、いつの間にか他の多くの日本的企業と同じ特徴又は欠点を具備し、他の多くの日本的企業と同じ閉塞感に悩まされるようになってしまったことだ。
だから筆者はこの国の【いわゆる日本的なものが保存される力】の密やかな強靭さを二重に体験したわけで、これを振り返ってそのメカニズムを検証することは「敗軍の将、兵を語る」なのであります(将じゃないけど)。

1990年代からの市場化努力が中途半端にスタックしている日本は何らかの阻害要因によって遅れた状態に留め置かれているのか。そうならどうやって克服するか。あるいはそもそもの目標設定に問題があったのか。

2011年12月16日金曜日

日本型コーポレート・ガバナンスの行方

会社法と金融商品取引法を専門とされるツイッターでもおなじみ(?)大杉謙一先生の「会社法で企業不祥事を防げるか」(以下「大杉論考」)を読んで考えたことを書いてみる。
筆者は一部上場事業会社の管理部門に所属しているので、自ずから企業内部の視点になろう。なお、文中の意見や判断は所属企業に関係なく筆者個人のものである。

もともと会社法の見直しが進んでいる中、測ったようなタイミングで起きた大王製紙、オリンパスの不祥事が重なってコーポレート・ガバナンスの議論が盛り上がっている。大杉論考では法制審議会の議論を意識しつつ二つの改善提案がなされている。「監査・監督委員会」と「役員人事の委員会制」である。
大杉論考が提案する役員人事の委員会制(「新指名委員会」と呼ぶ)は、現行の委員会設置会社の指名委員会(これを「現指名委員会」と呼ぶ)ほど縛りがきついものではなく、「委員会のメンバー構成や意思決定の方法については各社の工夫に任せて良い」から、会社法ではなく上場規則で義務づけても良い、とされている。

経営者が自分で自分もしくは自分の意に沿う後継者を指名することは経営トップへの「権力の過度の集中」と見なされ、新指名委員会方式が提案されているのだろう。
ところで経営トップを含む取締役が社内から昇進してくることが日本企業の伝統的特徴である。伝統的かつ現在も受け継がれている慣習には、それが存続している意味がある。経営者が社内から選抜される制度は長期雇用と結びついて組織「内部」のコミュニケーションを著しく効率化しコーディネーション・コストを低下させるという経済的合理性を持つ。これが日本企業の特徴である。

ということは、この慣習は短期的にすぐに変わりそうにない。
こういった我が国の組織行動・文化を前提としたとき、どのようにして経営者以外のメンバーが経営者の意向を排除して適任者を選べるだろうか。
現行の委員会設置会社の制度が目指したように、アメリカではそれがワークしている、という反論があろう。だがアメリカでは経営者市場があり「外」からつれてくることが可能だ。経営者市場は成果主義で任期が保障されない反面、報酬は著しく高額である。また経営者は修士、博士の高学歴が多く経営の基本プロトコルを共有しているために業種に関わらず行き来が可能で、それを支えるのがMBAなどのビジネススクールに代表される教育インフラだ。また会社組織も短期間で経営者が成果を出すため、経営者に強い裁量が与えられているし(例えば従業員の解雇)、従業員も企業特殊的スキルではなく一般的スキルを磨いて転職を厭わない。それが日本のような企業毎でない職種毎の労働組合にも反映されている。

日米比較を書き連ねたのは、会社制度が社会・文化と密接に結びついた相互補完的なものだと言いたいからだ。目についた良いところだけ持ってくるとか、悪いところだけを削るとか、簡単にはいかないのである。経営者選任について言えば、アメリカではモジュール化、日本では長期雇用+内部昇進でコミュニケーションを確保しコーディネーション・コストを低減している。(注1)
こう考えてくると、新指名委員会は経営者を「外」に求めるのか「内」に求めるかによって発揮する機能と課題が変わってくるだろう。

「外」の場合、今まで導入が進まなかった現指名委員会とどこが異なるのか?
また「外」の場合は欧米式推進となるが、欧米を範として日本企業も変わるべきというなら前述の相互補完性をどう考えどう対処するのか。
「内」の場合、新指名委員会はどうやって経営者の意向を排除しつつ内部から適任者を選抜するのか。伝統的日本企業において彼氏彼女の最大の強みは長年の勤続で培った企業特殊的コミュニケーション・スキルであり外部からの評価は難しいだろう。

オリンパス騒動において、(財テク失敗の損失隠しはいったん横において)買収に絡む不自然な価格付けや手数料支払いについてコーポレート・ガバナンス上の問題だったのは、経営トップが「不自然ではあるが形式的には違法とまでは言えない」トランザクションを強行しようとするときにどう対応するかだ。経営トップに対峙することが最も期待されていたのは法が与える権限も併せて考慮すれば大杉論考も指摘するように監査役であろう。では仮に新指名委員会方式でより使命感の強い監査役が指名されていたとして、どう状況が変わったであろうか? 経営トップが「違法じゃないやん、ええやん」と言って開き直ったとき、どう対処すれば良かったのだろう?

このコンテクストで、アメリカでは社外取締役が取締役会の過半数を占めており、また社外取締役は現役の他社経営者が多いということの意味が明瞭になってくる。前者はいつでも経営トップを解任できるという経営者への強い規律付け、後者は経営判断の妥当性判断(現在の我が国の議論と異なり、社外取締役は会計の正確性や適法性の厳密な判定を求められていない)を担保している。
経営の妥当性となると(他社の)現役経営者である社外取締役が「その手数料、高すぎるやん」と言えるし、自分自身も株主に対して説明責任を負い経営者市場での評価もあるから、「説明できんなら承認できんわ」「これ以上わからんこというならクビ」と言える。
経営者に大きな権限というエンジンを与える一方、よく効くブレーキを装備ということだ。

アメリカのシステムはよくできていると思うけれど、エンロンしかりMFグローバルしかりでやはり不正は起きる。というか大規模な不正で監査法人が消滅したりと、ネガティブな面でもスケールが違う。アメリカ型に完全追従したところで不正の起きないガバナンスが手に入るわけではない。
では、社外取締役が極めて少ない日本企業におけるエンジンとブレーキはなんだろうか?

話が大きくなって恐縮だが、現在の会社法制改革は英米式市場主義(市場志向)と我が国の伝統的な組織観(関係志向)を両端に持つスペクトラムのどこを目指して制度設計しようとしているのか、という点が不明瞭だと思う。会社法制というより日本社会について、と言うべきかもしれない。あれはアメリカから、これはドイツから、そこは日本独自で、という寄せ集めは良く言えば柔軟で日本らしいけれど、全体最適化の視点がないと現場は混乱するばかりで効果が十分に発揮されない。
同様に、会社法制のよって立つ理念は会社法以外の法律や制度とも整合性を保つべきで、例えば開示強化や四半期業績重視(市場志向)、解雇規制や一定年齢までの雇用義務付け等(関係志向?)も一貫性を持って説明されるべきだと思うのである。


(注1) 2011年12月15日付日刊工業新聞は、社長公募で話題を呼んだユーシン社で外務省現役官僚だった候補者が本年5月に入社したものの、既に社長になることなく退職が決まったと伝えている。拙速な一般化は慎むべきだが日本企業で外部から経営者を招く難しさを示唆しているようだ。

<参考文献>
青木昌彦著、谷口和弘訳『コーポレーションの進化多様性』NTT出版,2011
神田秀樹他編『コーポレート・ガバナンスの展望』中央経済社,2011
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社,1967
宮島英昭編『日本の企業統治』東洋経済新報社,2011
リチャード・N.ラングロワ著、谷口和弘訳『消えゆく手』慶応大学出版会,2011

2011年12月5日月曜日

オリンパス騒動 臨時株主総会?

川井先生がブログ「ウッドフォード氏、取締役辞任。委任状争奪戦へ?」でウ氏がオ社臨時株主総会開催を請求した場合のシナリオについて検討しているのを読んで、実務面でちょっと気になった点があるので派生記事(?)を書かせていただこう。

筆者の私見ではウ氏の狙いは現経営陣に揺さぶりをかけて自発的な辞職および臨時株主総会での新経営陣選任を迫るもので、実際に自ら臨時株主総会を請求する可能性はゼロではないにせよ、高くないと思っている。委任状争奪戦、いわゆるプロキシファイトについても同様。ついでに言えば、「自分以外の取締役はクロだから全員辞職せよ、ただし私は社長に戻る」というウ氏の主張はあまり説得力がなく上手な戦い方とは思えない。

ところで会社法297条はある条件を満たした大株主が臨時株主総会開催を請求し、会社がその請求から8週間以内の日を株主総会の日とする招集通知が発送しない場合には、裁判所の許可を得て自ら臨時株主総会を招集することができる、と定めている。これは臨時株主総会の開催には8週間もあれば十分、という認識が背景にあるのだろう。

臨時株主総会を開催するには以下の手順が必要である。
1) 取締役会で基準日設定
2) 官報・日刊新聞紙掲載申込、または電子公告の場合は電子公告調査機関への申込
3) 基準日公告(基準日の2週間以上前)
4) 基準日
5) 株主名簿の株主確定+発送準備(3~4週間)
6) 招集通知発送(臨時株主総会の2週間以上前)
7) 臨時株主総会

大株主から請求を受けたその日に取締役会を招集開催して基準日設定したとしても単純合計で7~8週間かかり、8週間以内に開催するのは難しい。しかも法に定める2週間前の招集通知発送では海外投資家の議決権行使が困難なため、特に外国人持株比率が高い会社は3週間前を目安に招集通知発送前倒しを心がけることを勘案すれば、会社法297条が要求する「請求から8週間以内を期日とする株主総会招集通知発送」は実現困難な規定といわざるを得ない。

念のためちょっと確認。
証券代行業務最大手の某信託銀行の担当者は匿名を条件に(笑)「確かに実際には難しいし、自分の知る限り上場会社が会社法297条の規定に基づき、大株主の請求から8週間以内に臨時株主総会を開催した例はない」とのこと。
四大法律事務所(最近は五大?)の弁護士先生は「仮に大株主がその点を理由として自らの招集を請求しても(早まるどころか余計に遅くなるので)裁判所が認めないだろう」、「公開会社を想定していない規定かもしれない」とのコメントでした。
ま、実務上はあまり問題にならないのかもしれませんね。

<オリンパス騒動へのインプリケーション>
ということで、もし可及的速やかに臨時株主総会を開催するとしても来年3月頃。新経営陣候補者を選ぶ時間を考えれば、またその前提となる経営刷新の方針が関係者に合意承認され、それが新経営陣候補者選定に反映されるべき点を考慮すれば、もう少し時間が必要だろう。そうなると臨時株主総会は4月、5月にずれていく。6月には定時株主総会があるわけだから、なにもその直前に拙速に臨時株主総会を開くことはあるまい、となるのが世の常、な気がする今日この頃なのである。

でわ。

※ 2011年12月6日 <オリンパス騒動へのインプリケーション>追加

2011年11月17日木曜日

オリンパス騒動 追加情報開示(2011年11月17日)

オリンパスが追加情報を開示(20111117日付「過去の損失計上先送り及び第2四半期報告書の提出に関する追加情報について」;以下「資料」)。昨日開催された金融機関向け説明会の資料でありその概要は既に報道されていてサプライズはないけれど、気づいた点をいくつか。

以前のエントリ(例えばオリンパス騒動 西部戦線異常あり?)で指摘したように、暖簾(のれん)に計上されている優先株買取の値上がり分$418M 20113月末現在,資料p.26)はやはり資産性が認められず費用処理されそう。ただし注意書きを見ると、大元の先送り損失を過去に遡って認識するようだから、この暖簾から費用に振り替える処理は今期ではなく過年度訂正に含まれることになりそうだ。その場合、300億円以上の損失が今期の損益には反映されず、ダイレクトに純資産が同額減少することになる。

最大の懸念だった、これ以外の暖簾費用処理が発生するかどうかについては資料を見る限り現存暖簾のほとんどがGyrus社であり、その資産性については変更なし、即ち追加の損失は発生しないとオ社は見ているようだ。20119月末のGyrus社の暖簾見込が1,204億円、もし上述の優先株買取分を差し引いて費用化すれば暖簾残高は900億円を切るので、伝え聞くとおりGyrus社の業績が比較的順調なのであれば、また20083月期のGyrus社暖簾が1,683億円だったことを考え合わせれば、この見込は希望的過ぎるとも言えない気がする。もちろん、最終的には新日本監査法人の判断次第。

現在遅延中の第2四半期報告書を期日の1214日までに提出するとのことだから、この点での上場廃止は遠のいたと言えるだろう。ただしそれとは別に虚偽記載等を東証がどう判断するかについてはなお予断を許さない。
また時節柄、反社会的勢力との関係などが出てくると一気に状況はオ社にとって厳しくなるだろうが、資料において明確に否定している(p.5)。
連結有利子負債も20113月末現在で6,488億円と高水準だが、これも頑張って返済を進め圧縮するとのこと(p.32)。

過去10年で一千億円を超える先送り損失を処理し(普通はこれができなくて破綻するんですが)、これからなお残る巨額の暖簾を償却しながら有利子負債を削減していくとは働き者の本業である。虐げられ搾取されているけど文句を言わない寡黙な良い子、みたいな。もちろん予定は未定ですから見込どおりうまくいくとは限りませんけれど。

2011年11月11日金曜日

オリンパス騒動 自白以上 決着未満

オリンパスが疑惑のGyrus社と国内3社買収(「本件買収等」)について抗弁をあきらめて不正を自白した(2011118日付「過去の損失計上先送りに関するお知らせ」)。それ以来、今まであんなに静かだった国内マスコミが大騒ぎを始め、筆者を含む一部のクラスタでは今さら感が盛り上がっている(下がっている?)今日この頃。

オ社が自白する前から本件疑惑は資金移動の手段であって目的は「何か」への対処だと主張していた筆者としては密かに鼻高々であるが、前向きに生きる限り過ぎたことは忘れてこれからに思いを馳せなければならない。

オ社が不正を認めたとはいえ、真相は未だ明らかになっていない中で、報道されている論調に違和感を感じる点を含め今現在思うところを記しておきたい。

<オ社が認めた内容を前提にすれば>
  本件買収等は既に生じていた過去の含み損処理であって、新たな損失を会社にもたらすものではない
  従って本件買収等支出の損害賠償を求める株主代表訴訟は成立しない
  過去の含み損がすべて処理されたのであれば、不正会計による追加損失は生じない
  従って(過去はともかく)現時点の株価は本件買収等で歪んでいない
  ただし不正会計とは別にのれんの減損はあり得る
  少なくとも優先株買取でのれん計上したという$443Mの資産性は疑問
  上場廃止は重要な問題ではあるが、事業継続の観点ではクリティカルではない

ちなみにオ社は2008年度から2011年度の4年間で、のれんを合計1544億円ほど損失処理している(有価証券報告書より)。これは報道されている過去の損失先送り額とほぼ同等であり、先送りしてきた損失をすべて処理したという見方と整合的である。
もう一つは、本年のウッドフォード氏の社長起用である。何度も指摘してきたように、一連の本件買収等スキームでは機関決定や開示等の「外観上の手続適正性」に非常に気を配っている。もし2011年以降に本件買収等のような過去の不正処理を行うとすれば取締役会決議は避けて通れず、そうならわざわざ文化的部外者のウ氏を取締役会に招き入れることはない。たぶん菊川氏は「うしろめたい過去の処理は済んだ」と考えてウ氏を抜擢したのだろう。そこにはビジネスをグローバルに発展させる意図も含まれていたのかもしれない。

本件買収等で捻出した資金がすべて過去の損失処理に使われその処理が完了したのであれば、本件買収等の支出も既に損失処理されているので、20113月期の損益は正しく表示されていることになる。となると虚偽記載によって株価が不当に高く維持されたという歪みは存在せず、投資家は虚偽記載による損害を受けていない(ブランドの毀損は別)。かつて山一証券が損失を隠しきれない、処理できないで自主廃業に追い込まれたのとはそこが異なる。
それ以外に追加の損失は出ないのか。たぶんそこが現時点の最大のポイントだろう。本件買収等についてはほとんどが損失処理されているようだが、のれんに計上されたという優先株買取の値上がり相当分$443Mは資産性に疑問があり追加損失となる可能性が高い。残りののれん1300億円相当の資産性がどう判断されるか、第三者委員会、いや新日本監査法人の判断次第である。

こう考えると、過去の重大な虚偽記載事例と区別なく騒ぎ立てる報道には違和感を覚えなくもないのである。もちろん第三者委員会やその他の捜査でより重要なネガティブインパクト、例えば公表事実以外の損失、本件買収等に関する法令違反やコンプライアンス違反が発覚する恐れがあるから、楽観視してはいけない。

2011年11月6日日曜日

オリンパス騒動 コーポレート・ガバナンス(社外取締役編)

ところでオリンパスのコーポレート・ガバナンスはどうだったのか。
気になる取締役会構成を見てみると201111月時点で取締役人数は15人、うち社外取締役は3人であるから、会社規模を考えれば日本企業としては進んでいる方と言えよう。遅れていると評される伝統的/典型的日本企業の取締役会は人数が多く、社外取締役がいないか、いても1人だ。

社外取締役導入で進んでいたオ社がこのような問題を起こすと、「社外取締役を導入すれば日本企業のコーポレート・ガバナンスは向上する」という主張はどうなっているんだ、という疑問が生じるのが道理である。
筆者は常日頃、お仕事を通じてコーポレート・ガバナンスにおける社外取締役の有用性を理解しているつもりなので、オリンパス騒動で「社外取締役なんて不要説」が盛り上がらないように先手を打っておきたい。

まず3社買収(株式買増し)を決定した20082月の取締役会において、当時の社外取締役は(なんと!)1999年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・エー・マンデル氏と元通産省及び元資源エネルギー庁長官の豊島格氏の2人である。この2人が当該取締役会に出席したかは明らかではないが、仮に出席していたとして3社の買収について経済学者と元官僚にとって会社から配布された乏しい資料で、かつ形式上は第三者の算定書のエンドースがあると言われれば反対することは難しかったであろう。さらに会計面は監査法人が事前であれ事後であれ責任をもってチェックするという期待が一般に取締役に存在する。
そもそも社外取締役に期待されているのは、厳密に言えば取締役会の中で少数派にとどまる社外取締役に期待されているのは、プロセスの適正性担保である。限られた情報ではあるが一連のオ社の社内手続を見る限りプロセスの外観上の適正さ確保にはかなり気を使っており、それは彼ら社外取締役がいたからこそと言えるのかもしれない。

次に20103月に$620Mで優先株を買取りすぐに支払うことを取締役会で決議した時、社外取締役は3人だった。藤田力也氏(医師,病院院長)、林純一氏(元野村証券,アイ・ティー・エックス監査役)、千葉昌信氏(元日経新聞,元日経BP専務取締役)である。この3人も当該取締役会に出席していたかは明らかではないが、出席していたとして話を進めよう。まずM&Aにからむ優先株の買取となれば元野村証券の林氏の経験を活かした厳しいチェックを期待したいところであるが、林氏が監査役を務めているアイ・ティー・エックス社はオ社の子会社であり、従って林氏はオ社グループの役員なのだから独立した立場で監督ができるのか疑問がある。会社法の規定上、子会社の取締役は社外取締役になれないが、監査役はokという取扱いに問題はないのか。
藤田氏は医師であり病院関係者だからオ社の本業と密接な関係があると推測される。実際、オ社は藤田氏が理事長を務める財団法人に寄付をしていたことを2007年の訂正報告書で報告している。これについても子会社役員同様、会社と取引関係等がある組織からの取締役は社外取締役に含めるべきではないという会社法を巡る議論がある。
千葉氏については独立性について一見問題がなさそうに見えるが、千葉氏が20116月に社外取締役を退任した後、同じく元日経、元日経BPの来間紘氏が入れ代わりで選任されているところを見ると、これはオ社と日経グループとの何らかの関係に基づく選任と疑われても仕方がない。となるとやはり独立性を期待できないのは前述の千葉氏と同様である。

ちなみに齋藤(2011)によれば、日本がその後を追っている米国で最も一般的な社外取締役は他社の現役経営者であり、米国のみならず欧州各国を含めて取締役会の過半を社外取締役が占めることが多いという。他社経営者が選ばれるのは形式の適正性だけでなく議題の中身、具体的には投資計画の妥当性やリスク回避策等にまで立ち入って判断することが期待されており、また取締役会の過半を占めるのはいつでも経営陣を更迭できるという現実のプレッシャーを持つことが重要であることを意味している。
まぁ、逆に日本の現状とは離れすぎていて、それゆえ日本企業がこの方向性(欧米型取締役会導入)を警戒し過敏になっている面がなきにしもあらず。それにこの欧米型取締役会構造の背景にあるのは、プロとしての経営者市場、それを支える高額報酬、経営の共通言語としてのMBA等の教育、などなど他の制度や習慣と補完的なシステムなので、そう簡単に一部だけ取り入れることはできないのだ。「だから日本社会全体の変革を、、、」云々は神学論争になるのでここでは立ち入らない。

オ社取締役会は2008年の時点では、経営者ではないにしろ独立性という意味では問題がなかった元官僚、著名経済学者を擁していたのに、2010年時点では人数こそ2人から3人に増えたものの、3人全員が会社との独立性が疑われる状態に劣化していた。
このガバナンス劣化が同時期に進行していた疑惑の買収等に絡んで経営者によって意識的になされたものかどうかはわからないが、仮にもしそうだとしたら社外取締役推進派には朗報だ。なぜなら

たとえ他社経営者(プロ経営者)ではなくても独立した社外取締役の存在は形式面の適正性担保として機能するだけでなく、その存在のもとでは不合理な案件を押し通しにくいので不合理な案件を予期する経営陣は社外取締役の独立性を緩めるインセンティブを持つ。従って社外取締役の定義を厳しくし実質的な独立性を確保することがコーポレート・ガバナンスに有効

という格好の事例になるからである。

今日の教訓:
コーポレート・ガバナンスに社外取締役が無意味なのではない。むしろ実質的独立性確保を強化すべき。

<参考文献>
齋藤卓爾「日本企業による社外取締役の導入の決定要因とその効果」宮島英昭編『日本の企業統治』東洋経済新報社,2011

20111109日 一部加筆