2011年12月18日日曜日

「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」の背景

前回のエントリ「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」を読み返してみると、筆者が守旧派を代表して大杉先生にケチをつけている!と受け取られてしまいそうなので急いで補足。「筆者は市場志向寄りの改革を支持しております!」

今を遡ること十数年前、伝統的日本的企業に勤める筆者は若かったこともあり会社組織の不合理さに嫌気がさしながらも下積みは大事だしと悶々鬱々の日々を送っていたけれど、パソコンそしてインターネットが浸透し始めるやその魅力に取りつかれた。個人が簡単に情報を収集/発信でき、海外とも瞬時に情報をやり取りできるネット時代の到来を目前に控え、日本社会にも大きな変化が起きると確信し、年功序列で成果能力無視の伝統的日本的企業は生き残れない、また自分でもIT革命に寄与したいとの思いで2000年にITベンチャーへ転職した。

このIT革命が進行した1990年代後半は、バブル経済崩壊を経て日本経済が旧い体質から生まれ変わろうとしていた時期に重なる。フリー、フェア、グローバルを旗印に市場原理導入のため金融市場、会計、会社法制の大改革が押し進められた。市場主義の前提となる個の確立は、インターネットとも相性が良い。これで経済合理性を欠く伝統的日本的経営は淘汰されようやく近代的資本主義経営に「進化」すると期待された。
宮島英昭で言えば「関係志向から市場志向」、山岸俊男なら「安心社会から信頼社会」、河合隼雄では「場の倫理から個の倫理」。今にして思えば、この期待の根底には遅れた状態からの進んだ状態へのキャッチアップという直線的歴史観が暗黙に仮定されていたと思われる。

ところが2011年12月現在。終身雇用、株式持合、部外者を排除する経営姿勢等が相変わらず日本的経営の特徴又は欠点として挙げられている。そして何より驚きなのは「革新的」「グローバル」に惹かれた若者が集まって10年前に生まれたベンチャー企業は、一部上場企業に成長した一方で、いつの間にか他の多くの日本的企業と同じ特徴又は欠点を具備し、他の多くの日本的企業と同じ閉塞感に悩まされるようになってしまったことだ。
だから筆者はこの国の【いわゆる日本的なものが保存される力】の密やかな強靭さを二重に体験したわけで、これを振り返ってそのメカニズムを検証することは「敗軍の将、兵を語る」なのであります(将じゃないけど)。

1990年代からの市場化努力が中途半端にスタックしている日本は何らかの阻害要因によって遅れた状態に留め置かれているのか。そうならどうやって克服するか。あるいはそもそもの目標設定に問題があったのか。

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