2010年11月19日金曜日

コンテンツへの対価支払システムとしての広告 その3

なんだか指摘を受けて日和見したと思われるのは心外なので、この件を考えるきっかけになった元ネタを引用。
米ニューヨーク・タイムズが2007年にウェブ版を無料にした。紙媒体の購読者数は110万人、ウェブ版の訪問者は5000万人/月。2008年の広告収入はウェブ版が約2億5000万ドル、紙媒体は約20億ドル。つまりウェブ版は紙媒体に対して50倍の読者を持ち、10分の1程度の広告収入しか得られなかった。(注1)
厳密な検証は横において、大事なのは「既存媒体からネットに移行したeyeballを追いかけても(そして首尾よく捕まえたとしても)、ウェブ上で得られる広告料は著しく低下する」ということである。昨日のエントリの結論を一歩進めて「同一のeyeballであってもマスメディア上とネット上では広告価値が異なる」のだ。

経験的にそんなことは当然と思うかもしれないが、ここでのテーマであるコンテンツ生成システムの観点から考えると1)記者に記事の対価を払えなくて困るという現実的問題に加えて、2)減った広告料はどこに行ったのか、という問題が生じる。

これが本件考察の入り口だったのである。ほんとに。

また、ツイッターで@ozyszmさんに教えていただいた電通のリサーチ(注2)でもGDPに対する総広告費の割合は2005年から2009年にかけて1.36%から1.25%に低下しているから、景気後退の影響以上に広告費は減っている。同じ期間にインターネット広告費は3777億円から7069億円へと2倍近い伸びを示しているにもかかわらずである。
これはニューヨーク・タイムズの事例同様、既存マスメディアからネットへ移行したeyeballを追って広告費も既存マスメディアからネットへ流入したが、eyeballの広告価値が低くなるため、全体としては広告費が減少してしまったと考えられる(注3)。

失われた広告費はどこへ?

【注】
(注1) 岸博幸『ネット帝国主義と日本の敗北』幻冬舎,2010,p64 を要約
(注2) 電通(2010年2月22日付プレスリリース)
(注3) 今まで既存マスメディアでは出稿できなかったニッチな広告が新たにネットに参入したことを考えれば、既存マスメディアがネットへ移行した時の広告費減少幅はもっと大きいと推測される。

2010年11月17日水曜日

コンテンツへの対価支払システムとしての広告 その2

ツイッターつながりで@sakaimaさんがご自身のブログでコメントをくれたので、それを踏まえてもう少し考えてみる。

もともとこの件はホントに新聞/雑誌で減った広告費が全てネットに移行したのか、という疑問が発端で、もっとネット広告にお金を投入せよ、と主張しているわけではない。一方で現実に新聞や雑誌は苦境にあり、デジタル時代に「ジャーナリズムを誰が支えるのか?」という課題(新聞社/雑誌社の経営ではなく、記事というコンテンツ生成のシステム)は大きな問題だと思うので、あるべき姿なり解決策を僭越ながら考えている次第である。

話を戻すと、前回の論旨は「eyeballがテレビ等からネットに移ったほどには広告費はネットに移行していない」だった(注1)。
同じくツイッターで@ozyszmさんに教えていただいた情報によると、伸び続けてきたネット広告も頭打ち感があり、足元では年末に向けてテレビ広告が順調だという。やはりeyeballの移行に広告費が追従しないのだ。その原因として以下が考えられる。

1)なんらかの理由でネットへの広告費支出が妨げられている
2)eyeballの広告価値がテレビ等とネット上では異なる
3)そもそも既存メディアの広告価値低下はネットの影響ではない

上記2が@sakaimaさんの指摘である。その点について考察。
グーグルの検索広告は読んで字のごとくユーザの検索行為がトリガーになる。ここには二つの含意があって、一つはユーザが能動的に動く必要がある点(注2)。もう一つはユーザは認知していないものは検索できない点である。検索によるターゲティング広告の高い効率性は間違いなくイノベーションであり、広告効果の定量的把握の容易さと相まって急速に世界中を席巻したが、AIDMA(注3)であれAISAS(注4)であれ、ユーザが認知してからでないと出番が無い。商品やサービスの認知は検索広告では実現されず、少なくともわが国では今でもマスメディアがマス向けの認知を担っているのである。ちょうどこれを書いている11月17日付の日経ビジネスONLINEは「SNSがテレビCM? 外国人が信じられない理由」という記事で日本の特異性を伝えている。

認知用のマスメディア広告と、ターゲティングの検索広告は競合と言うより補完関係だ。そして現状の広告費内訳を見る限り、マス向け広告の比率は高い。こう考えると完全マス向けのテレビと全国紙が相対的に堅調で、中途半端なターゲティングの雑誌や新聞が苦しくなるのが論理的帰結。

eyeballの広告価値は、AISASのSearch(検索)まで来ればネット検索において非常に高いが、大多数のAttention(注意)以前のeyballについてはテレビ等の方がネット閲覧よりも高いのだろう(注5)。ネット広告はマスメディアから移行してきた多くのeyeballをマス向け認知広告に上手く利用できていないのだ。結果としてeyeball当りの平均広告価値は従来型マスメディアの方が大きい、というのが現状であろう。従って、eyeballの広告価値はネット上とテレビ等では同一ではない。

もちろんグーグルを含めて各社が検索広告の限界を超えるべく、ライフログ的情報蓄積&解析を持ち込んで自社が取り扱う広告のフィールドを広げつつ広告効果を上げようと試みているが、この方向性に一本調子に進むかどうか、技術的に可能であっても社会がそれを許すのか、個人的には若干の懐疑と不安を持っている。仮にこの方向に進むとすれば、広告費の配分において既存のマスメディアよりもグーグル等のネット企業の存在感が増すことになろう。その場合、媒体は何で、コンテンツは誰が作るのだろうか?

【本日の結論】
マスコミ四媒体広告費合計2兆8千万円に対し、インターネット広告費は約7千億円で頭打ち傾向(2009年,電通調べ)。マス認知用の従来型マスメディア、ターゲティング広告用のネット検索広告が補完的関係で住み分けつつある。
eyeballが従来型マスメディアからネットへ移行しているほどには広告費がネットへ移行していないことは、従来型マスメディアにおけるeyeballの平均広告価値がネット広告におけるそれよりも高いことを示唆している。

うーん、アメリカと違って日本では従来型マスメディアが早々にネットとの均衡を得てコンテンツ生成/広告費配分のプラットフォームであり続けるのかな。。。それならジャーナリズムの行く末を私がそんなに心配して考えることもないのだけれど。

【注】
(注1) テレビではなく、新聞/雑誌を例にとった方が良かったのだろう。
(注2) 同じネット上の検索でも、日本では受動的に画面上からディレクトリを選んでいくヤフーの人気が高く、アメリカでは能動的にキーワードを入力するグーグルが支配的である。
(注3) AIDMA ; Attention(注意), Interest(関心), Desire(欲求) , Memory(記憶) Action(行動)
(注4) AISAS ; Attention(注意), Interest(関心), Search(検索), Action(行動、購入), Share(共有、商品評価をネット上で共有しあう)
(注5) テレビや新聞雑誌でAttention(注意)を得てネット上でのSearch(検索)に誘導する広告が多いことがこれを裏付ける。

2010年11月16日火曜日

コンテンツへの対価支払システムとしての広告を考える

デジタル時代のコンテンツについて、対価支払システムとしての広告から考えてみた試論。

【前提】
テレビ、新聞、雑誌等の広告費を主な収入源とするメディア(以下「テレビ等」)はコンテンツで視聴者のeyeball(目玉)をできるだけ多くひきつけ広告に誘導することによって対価として広告費を受け取る。受け取った広告費はコンテンツ製作者に配分される。これが既存のマスメディア広告システム(注1)(注2)。

【仮説】
1)ネットの台頭によりテレビ等の視聴機会が減った(注3)
2)テレビ等広告へ投入される広告費は減少し、その分がネット広告へ回った(注4)

【脳内検証】(数値は仮のもの)
例えばプロ野球中継がドル箱だった時代の試合中継広告費を100とする。視聴率が低迷してテレビ広告効果が落ち単価が40%下落して広告費が60になるべきところ、単価が落ちた分を広告回数を増やす動きによって総額は75になった(A)。ネットにeyeballを奪われたのであれば、残り25はネット広告に回るはず(B)。ところが実際には10しかネット広告に移行していない。

(A)単価下落を回数増で補った15のうち6はネットに移行したeyeballを追ってネットに移行すべきだったのに、なんらかの理由、例えば適当なネット広告出向先が見当たらない、クライアントの理解不足等でテレビに滞留(a=6)。

(B)テレビ等広告が失った25のうち10しかネットに移行しておらず、残りの15は広告に支出されず広告費純減(b=15)。

従って理論的にはテレビ等が失った25とネットに移行すべきなのにテレビ等に滞留しているa=6を足した31がネット広告に支出されるはずであるが、実際には10しかネット広告に移行していない。現状のネット広告市場は本来のポテンシャルの3分の1の規模に過ぎない。

【脳内結論】
既存マスメディアがネットに視聴者のeyeballを奪われているのは事実だが、広告費の移行はeyeballの移行に比例しておらず、ネット広告は現状の数倍の市場規模になるポテンシャルがある。ネットへの広告費がスムーズに移行していない原因には広告効果の評価基準が定まっていないことや、テレビ等が果たしていた「マスへの訴求」がネット広告には欠けている点等が挙げられよう。
いずれにせよ、現状のグーグルに代表されるネット検索広告は「お金を払ってeyeballをつかまえる」システムとしては思われているほど万全でもないし、支配的でもない可能性がある。

【言いたいこと】
コンテンツ製作者へのネット上の対価配分システムはグーグルの検索広告で完成したわけではない。まだ大いなるイノベーションの余地がある。

【補足】
下記注3,4で明らかなとおり、ネット化による構造変化によって広告費合計は100を大きく下回るのかもしれない。そうだとしても、資金供給側がかつては100を支出していた(実際には消費者が負担していた)という事実はコンテンツ製作者への配分を考える上で示唆に富む。

【注】
(注1)音楽、映画は消費者がコンテンツに直接対価を支払うシステム。

(注2)雑誌、新聞も購読料としてユーザから対価を得る部分もあるが、それだけでは経営が立ち行かないのは雑誌、新聞の現状が物語っている。それでも日本はアメリカよりも購読料の割合が高いのでネットのマイナスの影響が相対的に少ないとの指摘がある。

(注3)厳密にはライフスタイルの多様化に伴うものであり、すべてがテレビ等からネットに移行したわけではないだろう。

(注4)もともと既存マスメディアは流通を独占してレント(超過利潤)を得ていたとの指摘がある(注5)。だとすれば、ネット化で流通独占が崩れたことによって広告費全体が減少する。例えば従来100だった広告費がネット化によって90になるのかもしれない。

(注5)例えば、佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』(2010),岸博幸『ネット帝国主義と日本の敗北』(2010)