2011年12月16日金曜日

日本型コーポレート・ガバナンスの行方

会社法と金融商品取引法を専門とされるツイッターでもおなじみ(?)大杉謙一先生の「会社法で企業不祥事を防げるか」(以下「大杉論考」)を読んで考えたことを書いてみる。
筆者は一部上場事業会社の管理部門に所属しているので、自ずから企業内部の視点になろう。なお、文中の意見や判断は所属企業に関係なく筆者個人のものである。

もともと会社法の見直しが進んでいる中、測ったようなタイミングで起きた大王製紙、オリンパスの不祥事が重なってコーポレート・ガバナンスの議論が盛り上がっている。大杉論考では法制審議会の議論を意識しつつ二つの改善提案がなされている。「監査・監督委員会」と「役員人事の委員会制」である。
大杉論考が提案する役員人事の委員会制(「新指名委員会」と呼ぶ)は、現行の委員会設置会社の指名委員会(これを「現指名委員会」と呼ぶ)ほど縛りがきついものではなく、「委員会のメンバー構成や意思決定の方法については各社の工夫に任せて良い」から、会社法ではなく上場規則で義務づけても良い、とされている。

経営者が自分で自分もしくは自分の意に沿う後継者を指名することは経営トップへの「権力の過度の集中」と見なされ、新指名委員会方式が提案されているのだろう。
ところで経営トップを含む取締役が社内から昇進してくることが日本企業の伝統的特徴である。伝統的かつ現在も受け継がれている慣習には、それが存続している意味がある。経営者が社内から選抜される制度は長期雇用と結びついて組織「内部」のコミュニケーションを著しく効率化しコーディネーション・コストを低下させるという経済的合理性を持つ。これが日本企業の特徴である。

ということは、この慣習は短期的にすぐに変わりそうにない。
こういった我が国の組織行動・文化を前提としたとき、どのようにして経営者以外のメンバーが経営者の意向を排除して適任者を選べるだろうか。
現行の委員会設置会社の制度が目指したように、アメリカではそれがワークしている、という反論があろう。だがアメリカでは経営者市場があり「外」からつれてくることが可能だ。経営者市場は成果主義で任期が保障されない反面、報酬は著しく高額である。また経営者は修士、博士の高学歴が多く経営の基本プロトコルを共有しているために業種に関わらず行き来が可能で、それを支えるのがMBAなどのビジネススクールに代表される教育インフラだ。また会社組織も短期間で経営者が成果を出すため、経営者に強い裁量が与えられているし(例えば従業員の解雇)、従業員も企業特殊的スキルではなく一般的スキルを磨いて転職を厭わない。それが日本のような企業毎でない職種毎の労働組合にも反映されている。

日米比較を書き連ねたのは、会社制度が社会・文化と密接に結びついた相互補完的なものだと言いたいからだ。目についた良いところだけ持ってくるとか、悪いところだけを削るとか、簡単にはいかないのである。経営者選任について言えば、アメリカではモジュール化、日本では長期雇用+内部昇進でコミュニケーションを確保しコーディネーション・コストを低減している。(注1)
こう考えてくると、新指名委員会は経営者を「外」に求めるのか「内」に求めるかによって発揮する機能と課題が変わってくるだろう。

「外」の場合、今まで導入が進まなかった現指名委員会とどこが異なるのか?
また「外」の場合は欧米式推進となるが、欧米を範として日本企業も変わるべきというなら前述の相互補完性をどう考えどう対処するのか。
「内」の場合、新指名委員会はどうやって経営者の意向を排除しつつ内部から適任者を選抜するのか。伝統的日本企業において彼氏彼女の最大の強みは長年の勤続で培った企業特殊的コミュニケーション・スキルであり外部からの評価は難しいだろう。

オリンパス騒動において、(財テク失敗の損失隠しはいったん横において)買収に絡む不自然な価格付けや手数料支払いについてコーポレート・ガバナンス上の問題だったのは、経営トップが「不自然ではあるが形式的には違法とまでは言えない」トランザクションを強行しようとするときにどう対応するかだ。経営トップに対峙することが最も期待されていたのは法が与える権限も併せて考慮すれば大杉論考も指摘するように監査役であろう。では仮に新指名委員会方式でより使命感の強い監査役が指名されていたとして、どう状況が変わったであろうか? 経営トップが「違法じゃないやん、ええやん」と言って開き直ったとき、どう対処すれば良かったのだろう?

このコンテクストで、アメリカでは社外取締役が取締役会の過半数を占めており、また社外取締役は現役の他社経営者が多いということの意味が明瞭になってくる。前者はいつでも経営トップを解任できるという経営者への強い規律付け、後者は経営判断の妥当性判断(現在の我が国の議論と異なり、社外取締役は会計の正確性や適法性の厳密な判定を求められていない)を担保している。
経営の妥当性となると(他社の)現役経営者である社外取締役が「その手数料、高すぎるやん」と言えるし、自分自身も株主に対して説明責任を負い経営者市場での評価もあるから、「説明できんなら承認できんわ」「これ以上わからんこというならクビ」と言える。
経営者に大きな権限というエンジンを与える一方、よく効くブレーキを装備ということだ。

アメリカのシステムはよくできていると思うけれど、エンロンしかりMFグローバルしかりでやはり不正は起きる。というか大規模な不正で監査法人が消滅したりと、ネガティブな面でもスケールが違う。アメリカ型に完全追従したところで不正の起きないガバナンスが手に入るわけではない。
では、社外取締役が極めて少ない日本企業におけるエンジンとブレーキはなんだろうか?

話が大きくなって恐縮だが、現在の会社法制改革は英米式市場主義(市場志向)と我が国の伝統的な組織観(関係志向)を両端に持つスペクトラムのどこを目指して制度設計しようとしているのか、という点が不明瞭だと思う。会社法制というより日本社会について、と言うべきかもしれない。あれはアメリカから、これはドイツから、そこは日本独自で、という寄せ集めは良く言えば柔軟で日本らしいけれど、全体最適化の視点がないと現場は混乱するばかりで効果が十分に発揮されない。
同様に、会社法制のよって立つ理念は会社法以外の法律や制度とも整合性を保つべきで、例えば開示強化や四半期業績重視(市場志向)、解雇規制や一定年齢までの雇用義務付け等(関係志向?)も一貫性を持って説明されるべきだと思うのである。


(注1) 2011年12月15日付日刊工業新聞は、社長公募で話題を呼んだユーシン社で外務省現役官僚だった候補者が本年5月に入社したものの、既に社長になることなく退職が決まったと伝えている。拙速な一般化は慎むべきだが日本企業で外部から経営者を招く難しさを示唆しているようだ。

<参考文献>
青木昌彦著、谷口和弘訳『コーポレーションの進化多様性』NTT出版,2011
神田秀樹他編『コーポレート・ガバナンスの展望』中央経済社,2011
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社,1967
宮島英昭編『日本の企業統治』東洋経済新報社,2011
リチャード・N.ラングロワ著、谷口和弘訳『消えゆく手』慶応大学出版会,2011

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