2011年4月21日木曜日

統合化とモジュール化 東京電力とNTT 2

前回のエントリ「統合化とモジュール化 東京電力とNTT」が若干抽象的であったし、通信と電力のアナロジーにおいて現在の東京電力の今後を考えることはとても重要だと思うので、改めて書いてみよう。

ポイントは「かつて独占企業だったNTTがアンバンドリング政策により自社設備をADSLベンチャーに開放し、これが日本のブロードバンド発展につながった」という歴史的事実である。もう10年以上前の話であり、昨今の東京電力の今後についての議論を見ていると、この通信業界の成功体験が意外に抜け落ちている、あるいはこの事実をふまえた上で「通信と電力は異なる」とことさらに電力の特殊性を強調する姿勢も見受けられる(ような気がする)ので、ここはひとつ過去を知る者が語り部となるしかあるまい。(*1

イノベーション(新価値の創出)=発明 × 普及
と妹尾(2009)は述べている。日本の製造業がややもすると技術偏重であり、普及(迅速かつ大量の販売)が弱点になっている点を指摘したものだ。ADSLの成功要因については2001年のソフトバンク参入による急激な普及が定説であり、これは日本企業が不得手な「普及」を成功させた点で正当な評価ではある。ただし、これだけでは真実の半面しか捉えていない。なぜならADSLに関しては電話線を使うという性質上、NTTの協力がなければ実現せず、NTTは競争相手に自社設備を貸し出すインセンティブはないし、さらにNTTは当時ISDNを普及させた後で光ファイバーに移行するつもりだったからADSLは歓迎せざる技術だった。この状況でNTTADSLに反対するのは当然で、NTTの絶対的な影響力を考えればADSLは日本で実現しないと多くの人が見ていた。

ところが結論から言えばNTTADSL向けに既存電話線を貸し出し、自社電話局内への立ち入りと自社設備への接続を認めたのみならず、2000年暮れには自社でのADSLサービス開始を発表した。それは1999年頃、安価なインターネット常時接続が日本に必要だという信念でADSL立ち上げに挑んだいくつかのADSLベンチャーが、嫌がるNTT相手に交渉を繰り返し、折しも1996年の米国電気通信法改正を受けて日本にも競争導入とインターネット普及が必要と考えた郵政省(現総務省)がADSLベンチャーをバックアップする一方でADSL導入をNTTに強く指導したからである。

こう書くと簡単なように思えるが、そうではない証拠に日本が見習ったはずの米国では1996年電気通信法の後、ADSL事業者を含む新規参入組はあまり伸びなかった(*2)。法律でアンバンドルと接続を強制しても、利益が相反する企業対企業ではそれらがうまく機能しなかったからだ。「企業に何かができる「法律的な」能力があるからといって、それが必ずしもその企業に技術的な能力あるいは経営的な能力が備わる、ということにはならない。RBOC(筆者注:地域電話会社)の本社組織内のオフィスでモジュール化を進めさせるのは、複雑で時間のかかるプロセスだということが明らかになった。」(クリステンセン,2005p.189) 即ち米国では法律で通信設備のモジュール化を進めたが、それだけではインターフェースの定義が不十分で、サブモジュール同士(地域通信会社とADSLベンチャー)はうまく接続できなかった。

日本でADSLが離陸できたのは前述のようにADSL事業者の懸命の努力に加え、監督官庁である郵政省がADSL導入を強い決意で進め、米国で問題になっていたラインシェアリング(*3)を含めてNTTとの接続方法を当初から制度化したことが大きい。これが20007月に発表された郵政省「高速デジタルアクセス技術に関する研究会」最終報告書である。

公平を期すために付け加えねばならないのは、NTTの態度である。NTTは先の郵政省の報告書を見てADSL導入は避けられないと腹をくくり、なんと()自らADSLサービス提供を決めた。それまでNTTから「ADSLなんてダメですよ」と言われ続けてきたADSLベンチャーからすればたまったものではないが、政策面からマクロで考えれば喜ばしい話だし、NTTが自ら手がけることになったので、それまで見られたADSL開通遅延が少なくなったり、NTTのデータベース整備が進むなどの改善効果が見られた。ADSL準備期間においてはADSL推進派から批判されながらもNTTは真摯に話し合いに応じてきたし、自社提供が決まってからは競争相手である他のADSLベンチャーと時に対立しながらも事業環境の整理に努めてきた。これがインターフェースの整理であって日本で実現し、アメリカで実現できなかったところである。その差異は、構造的に積極的に進めるインセンティブがないにもかかわらず、最後には国策に協力すべきというNTTマインドにあった、と言えば誉め過ぎだろうか。

こうしてADSLが制度的に確立した後で2001年にソフトバンクが価格破壊を伴って参入したのである。そこから先は周知の通りADSLは爆発的に増え続け、日本は有数のブロードバンド大国となり、やがてADSLFTTHに主役の座を譲るのだが、その歴史的意義が変わることはない。

さてここからが本題。
現在の東京電力を巡る議論におけるADSL物語のインプリケーションは何だろうか。それはモジュール化=インターフェース整理によって、東京電力が本気で取り組むほど大きくないプロジェクトや、あるいは東京電力の意に添わない技術に可能性を開く点だ。イノベーションは辺境で生じ、最初は小さく弱い。ADSL12年前にそうであったように。業界すべてを統合している大企業から見ればとるに足らないが、その大企業がドアを開けてくれないと日の目を見ることなく消えてしまう。
実際、東京電力は太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーは不安定で系統に悪影響を与えるため極めて限定的にしか導入できない、と言い続けている。どこか既視感を感じてしまうのは筆者だけではないはずだ。
だからNTTや東京電力の観点ではなく、国策の観点で望ましい新技術(の可能性)のため門戸を開けておく必要がある。そこには国家国民の意思が必要だ。今、電力にイノベーションが必要というのは国民的合意であろう。

この文脈でいうモジュール化は東電解体とか分社化とかを直接意味しないし、懲罰的意味合いも含まない。現にADSLNTT設備がアンバンドルされてモジュール化されたとき、NTTは解体されていないどころか、今日でも最大の影響力を保持するプレイヤーである。重要なのは東京電力がプレイヤーとして残っていても(いなくても)、一定のルールに則って同等の条件で特定要素、例えば送電とか認証課金機能を利用して参入可能なことなのである。

固定通信
認証・課金
コンテンツ
長距離
アクセス回線
音声
NTT東西
(音声)
NTTコム
NTT東西
音声
KDDI
(音声)
KDDI
KDDI
ADSL
ソフトバンク
(ADSL)
 
 
ソフトバンク
(ADSL)
電力
認証・課金
発 電
送 電
配 電
独占・統合
東京電力
東京電力
東京電力
東京電力
発電
 
A
 
 
送配電
 
 
B
B
スマートグリッド
C
 
 
C


(*1) 通信政策におけるアンバンドリングについては国によってさまざまな結果があり、常に望ましい訳ではないが、日本のADSLが成功事例であることは概ね合意が得られている。例えば田中・矢崎・村上(2008)
(*2) 米国ではケーブルテレビのシェアが高かったため、自前の通信線を既に保有するケーブルテレビが固定ブロードバンドの担い手になる。
(*3) ラインシェアリングは電話用銅線をADSLで共用すること。これができると早く低コストでADSLを導入できる

<参考文献>
田中辰雄・矢崎敬人・村上礼子『ブロードバンド市場の経済分析』慶応義塾大学出版会,2008
妹尾堅一郎『技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』ダイヤモンド社,2009
クレイトン・クリステンセン、スコット・アンソニー、エリック・ロス、宮本喜一訳『明日は誰のものか イノベーションの最終解』ランダムハウス講談社,2005
郵政省「高速デジタルアクセス技術に関する研究会」最終報告書,2000
浅井澄子『情報通信の政策評価』日本評論社,2001
湯崎英彦『巨大通信ベンチャーの軌跡』日経BP社,2009
「東京めたりっく通信物語」(http://www.j-cast.com/a04_special/a0407_broadband/)2008

2011年4月9日土曜日

統合化とモジュール化 日本のケータイ

普及率、サービス内容、品質のいずれをとっても日本がケータイ先進国であることは疑いがない。日本の携帯電話産業は通信キャリアによる垂直統合型である。そしてアップルの今日の隆盛がiPhoneによる携帯電話参入成功に多くを負っていることを考えれば携帯電話産業を統合化/モジュール化の観点で説明することは非常に重要である。田中辰雄先生からも宿題をいただいているところだ。

ITとモジュール化という大きな視点で捉えると、本来は固定電話から話を始めるべきなのだが、長くなるのでここでは携帯電話だけに絞ろう。インターネット接続を前提としたデータ中心の携帯電話産業の現在の形態(以下「ネット携帯電話」)の起点は1999年のiモード開始である。そのすぐ後に日本では3G高速通信が開始され、インターネット接続とデータ通信が急成長していく。高機能多機能な端末を作るメーカー、販売奨励金等に支えられた販売店網、コンテンツ・プロバイダー、そしてこれらを垂直統合して提供する通信キャリアというエコシステムができあがり、日本のネット携帯電話は右肩上がりの成長を続け、2007年には普及台数が1億台を超えた。しかし2000年代後半になると成長は鈍化し、2007年に総務省が主宰したモバイルビジネス研究会が販売奨励金廃止を打ち出したこともあり、ついに2008年、携帯電話販売台数は減少に転じた。

しかし不思議なことに、これだけ日本でネット携帯電話が盛り上がっても、海外では相変わらず通話とメールがあれば十分という状態が続いた。NTTドコモがiモードを広めようとして多額の投資をして海外進出したが見るも無残な失敗に終わった。アメリカはPC文化だから携帯でネットはしない、日本人と違って外国人は指が大きいから携帯電話でネットはしない、等々の様々な説明がなされた。それらも相応に妥当だったのかもしれないが、さらに不思議な、というか困ったことにアップルが米国で2007年にiPhoneを発売(日本では2008年発売)、アップルに対抗してグーグルがアンドロイドOSを無償で提供し始め、あれよあれよという間に世界中でスマートフォン・ブームが巻き起こって現在に至っている。スマートフォンは要するにケータイが多機能になり、ネットにつながるということである。スマートフォンに対してガラパゴス・ケータイ、略してガラケーと呼ばれるようになった日本の従来の高機能・多機能ケータイの立場はどうなる! と言いたくなるのも無理はない。日本人以外はケータイでネットをしないのではなかったか?

このように同じように多機能・高品質でネット利用を前提としたスマートフォンとガラケーだが、かたやガラケーは凋落(*1)、スマートフォンは世界中でブームどころか日本でも2010年後半に各キャリアが本格的に海外製スマートフォンを導入し始めた。これではiモード開発に関わった夏野さんが「ガラケーはスマートフォンに先行していた、進んでいた」と叫んだところで日本勢はなすすべもない。

なぜ海外では日本製ガラケーではなくスマートフォンが成功したのか。
答えはまさに「ガラケーは統合化されていたから」である。高速通信でネット中心にデータ中心の利用というガラケーは、高機能・多機能端末を作るメーカー、原価の高い端末を大量に販売する販売網システム、コンテンツ・プロバイダー、そこに価値を見出してデータ通信サービスを利用するユーザという多数の参加者からなるエコシステム(生態系)である。例えば高機能・多機能端末を作るメーカーは開発費を含めてかなりの投資が必要になるが、それを回収できるだけ売れるかどうかリスクが高い。そもそもコンテンツが多くなければ魅力的なサービスにならないが、ビジネスとして成立する見込みがなければ優良なサイトやコンテンツが提供されない。このように、サービス開始当初はどの参加者にとっても卵が先かニワトリが先か、の状況になる。日本の携帯電話産業では通信キャリアが垂直統合型でリスクを負担し資金を出し信用を付加することによって、この状況を脱することができた。NTTドコモが高機能・多機能端末を買い取りをコミットすることによって端末メーカーのリスクを負担し、販売奨励金等で端末を低価格で販売することを可能にして販売網システムを支え、NTTドコモの信用によって大企業のサイトを誘致し、それがさらにサービスの信用を高めて他のサイトやコンテンツを集めるのに役立った。NTTドコモが新たなガラケーというアーキテクチャを設計し、各サブシステムを配置したのである。ファイン=クリステンセン説の示すとおり、ネット携帯電話のライフサイクルは統合型で始まった。

ファイン=クリステン説に従えば、統合型で始まった製品(サービス)はやがてモジュール化の圧力にさらされる。事実、かなり早い段階からiモードでは公式サイト以外に勝手サイトと呼ばれる非公式サイトが多数生まれた。2006年にはユーザーが携帯電話番号を変えずに通信キャリアを変更できるモバイルナンバーポータビリティ(MNP)が導入され、2007年には総務省モバイルビジネス研究会(*2)によって販売奨励金廃止が提言され、2009年には総務省通信プラットフォーム研究会(*2)が通信キャリアの課金・認証システムの開放を通じてモジュール化を促すなど、市場からも政策面からも強いモジュール化の圧力がかかり続けてきたし、その多くは実施されてきた。この他にMVNOSIMロック解除などもある

少し時計の針を戻して、2000年代、iモードを初めとする日本のガラケーシステム全盛期に、なぜ海外ではこれが普及しなかったのか。今から過去を振り返れば明らかなように、海外でもケータイでネットを利用する高機能端末の需要はあったのだが、前述のようにiモードは海外展開に失敗した。海外では日本ほど強く通信キャリアが垂直統合しておらず、アメリカのように比較的日本に似て端末と通信サービスがバンドルされている場合でも、需要が定かでない中、通信キャリアが3G設備の投資を急いで新たに高機能端末の開発・在庫リスクを負いつつコンテンツを集めることは現実的ではなかった。NTTドコモが海外で成功するためには、日本でそうしたように卵か先かニワトリが先かを解決するため、自らリスクを取ってエコシステム全てを整える必要があったのだが、それは現実的ではなかったようだ。夏野(2011)NTTドコモの海外展開失敗の理由として「51%以上の株式を取得し、企業を実質的に買収しなければ、先に挙げた成長エンジンを正のスパイラルで回すことはできない」(p.86)、「技術だけでは、本来ビジネスモデルが生み出している利益を得ることはできない」(p.88)と指摘しているが、同じことを述べていると思われる。海外ではガラケーのアーキテクチャ設計、モジュール配置を行う統合者がいなかったのである。

ところが統合者は通信キャリア以外の思わぬところから現れた。2007年、アップルはiPhoneを発表し携帯電話産業へ参入した。
iPhoneの場合、ネット携帯電話のエコシステム参加者のうち端末メーカーはアップル自身である。アップルは携帯電話ネットワークを保有していないのでアメリカではAT&T、日本ではソフトバンクと手を組んだ。通信キャリアと組むことによって端末販売網と販売奨励金による初期費用抑制方式も同時に手に入れることができた。一方でアップルはアップルストアという独自の小売販売店網構築も進めている。コンテンツ・プロバイダーは、もともとiPodiTunesを軸にしたエコシステムができていたため、スムーズにiPhone向けに拡張することができた。またiPhone, iPodとも画面が大きいため、既存のPC向けウェブページが閲覧可能であることもコンテンツの範囲を飛躍的に増やした一因である。日本では技術的に難しくないとは言え各キャリアごとにケータイ向けのページを作成する必要があったのとは対照的である。最も重要なのはiPodで確立していたiTunesを軸とした課金・認証のプラットフォームをアップル自身が押さえていた点である。日本のガラケーではここを通信キャリアが押さえていた。

アップルはもともとiPodで築いていた資産を最大限iPhoneで活用するスタイルを採り、自ら手がけられない通信ネットワーク部分を通信キャリアと組むことによって同時に敷居の低い販売方法と販売網を手に入れた。こうして、アメリカ式ネット携帯電話(スマートフォン)の垂直統合が実現したのであるが、それは日本のネット携帯電話(ガラケー)の垂直統合とは統合者のレイヤーが異なる点で、似て非なるものであった。

iモード(NTTドコモ)
   
 
コンテンツ・アプリケーション
レイヤー
 
コンテンツ・
プロバイダー
  ↓審査非オープンインターフェース
 
プラットフォーム(認証課金)
レイヤー 
 
認証課金
   
 
ネットワーク
レイヤー
 
携帯電話
自社
NW
   
 
端末
レイヤー
 
端末メーカ-
から買取
   
自社販売



iPhone(アップル)
   
 
コンテンツ・アプリケーション
レイヤー
 
コンテンツ・
プロバイダー
  ↓審査非オープンインターフェース
 
プラットフォーム(認証課金)
レイヤー 
 
iTunes
App Store
   
 
ネットワーク
レイヤー
 
携帯電話NW
ソフトバンク
   
 
端末
レイヤー
 
iPhone
   
Apple Store
キャリア販売



ここでいくつか疑問がわく。
1)アメリカでアップルによってネット携帯電話の「ニワトリ・卵」が解決され、ひとたびネット携帯電話のエコシステムが定着すれば、日本のガラケーもスマートフォン同様に売れるはずであるが、2011年春時点では日米ともにスマートフォンの勢いが圧倒的である。それはなぜか。

2)ファイン=クリステンセン説に従えば、統合型サービスもやがてモジュール化の圧力にさらされる。現に日本ではガラケーのキャリア垂直統合は政策も含めて強いモジュール化圧力にさらされてきた。ガラケーは、そしてスマートフォンは今後どうなるだろうか。


(*1) とは言え、売上ベースではスマートフォンに勢いがあり注目されているものの、累積台数では未だガラケーが圧倒的に多い
(*2) 本稿のレイヤー構造は、これらの報告書をベースにしている。

<参考文献>
夏野剛『iPhone vs. アンドロイド』アスキー・メディアワークス,2011
総務省「モバイルビジネス研究会」最終報告書,2006
総務省「通信プラットフォーム研究会」最終報告書,2009
丸川知雄・安本雅典編著『携帯電話の進化プロセス』有斐閣,2010

2011年4月2日土曜日

統合化とモジュール化 東京電力とNTT

安全安心。
今般の東日本大震災で改めてクローズアップされることになった安全安心は「統合化とモジュール化」においても非常に重要な論点で、ちょうどこれから論考を進めるところだったのだけれど、現実が先回りしているので、ちょっと先に書いておきたい。

かつて2003年頃に米国産牛肉がBSE騒ぎで輸入禁止になったとき、吉野家の安部社長は「安心と安全は違う」と発言した。安全を求められれば客観的に定量化された基準をクリアすれば良いが、安心を求められると短期的には対応しようがない。安心は顧客の主観的問題だからだ。
また、山岸(2008)は安心と信頼を対比させ、日本は安心社会で閉鎖的村社会の相互監視によって、米国は信頼社会で流動的社会の制度(法律)によって取引の安全が担保されているという。

しかし、ここではあまり深入りせず、一般的用法として安全安心の語を使おう。
前回のエントリ、統合化とモジュール化 21世紀のアップル 1で明らかにしたように、統合化にあってモジュール化にないメリットが安全安心である。例えばPCを自作した場合、それが動かなくなっても、相談するカスタマーセンターがない。いわゆる自己責任だ。これではよほど金銭に余裕があるか、スキルが高い人でないと手が出せない。趣味としてはOKでも一般への普及は難しい。また、仮に家庭で使用している家電製品が加熱による火災などの事故を起こせば財産のみならず生命にも危険が及ぶから、安全安心なメーカー品を買おうとする心理が働く。
このように、安全安心が重要視される場合、その製品/サービスは統合化されている必要がある。クリステンセン的に言えば、「安全安心が不十分」なのだ。仮にモジュール型のアーキテクチャであっても、完成品メーカーがパッケージ化し、顧客に対して最終的な責任を負う。

安全安心が重視されるのは前述のようにユーザから見て、製品が高価だったり、事故が起きた場合の損害が重大な場合である。このような場合には最終製品形態において統合化が要求される。
先行研究において、自動車産業はすり合わせが必要なのでインテグラル(統合型)とされているが、一つには安全安心が非常に重要な製品であるので、少数の大規模な完成品メーカによって提供されるという側面があると思われる。

安全安心は以下の三つの要素からなる。
1)製品自体の耐久性、安全性が高い
2)ただ一つの窓口が責任を持って対処(通常はメーカーまたは売り手)
3)万が一事故が起こったときに対処/賠償する体力がある

自動車で言えば、自動車は高価であり、事故時のリスクが非常に高いので安全安心が重要である。そこでトヨタが統合化製品として提供し、これら1~3を満たしている。

これまでの話のどこが東日本大震災と関係しているのだろうか。賢明なる読者であればお気づきであろう、そう東京電力である。今日、東京電力は福島原子力発電所の事故に端を発してその垂直統合的独占性を批判されている。ではなぜ垂直統合的独占が続いてきたのか。本論の観点で言えば(*1)、電気は事故時のリスクが高いから高度に安心安全が要求される。だから一社で統合的に提供されてきたのだ。
では、どうすれば良いか。クリステンセンに従えば、電気における安全安心が現状で不十分なら統合したままでよい。もし十分ならモジュール化すべきということになる。
電気は電気事業法等で規制されており、他の産業のようにいつの間にかモジュール化が進行、ということがないから、モジュール化を進める場合(競争を導入する場合)は政策的な合意と方向付けが必要になる。

・通信のモジュール化
電気事業における発電/送電/配電は、通信における長距離/市内/アクセス回線と似ている。かつて長距離/市内/アクセス回線を一手に握っていた電電公社は1985年に民営化、さらに1999年には分割された。その結果、競争が行われ通信サービスは多様化し、通信料は大幅に低下した(低下が十分かどうかは別)。さらにこの通信自由化が後のインターネット普及とIT革命の布石となった。

電電公社が民営化されるときも、NTTが分割されるときも「安全安心が失われる」という反対論があった。そして前述のようにその主張はある程度正しい。問題は安全安心が十分か否か、である。
結論として、安全安心は十分だった。たぶんかなり余裕を持って十分だった。理由は簡単で、国のインフラを支えるエリートとして、優秀な人間がプライドを持って、潤沢な資金をつぎ込んで高品質なネットワークを作り上げてきたからである。だからすでに「十分」なラインのはるか上方にいたため、モジュール化(競争及び他社との接続、設備貸出)で多少の安全安心が失われたとしても、依然として安全安心は十分だったのである。わかりやすく言うと、合格点が80点のテストで、統合型が98点、モジュール型が95点だと、確かに点数は相対的に下がったが余裕を持って合格という点に変わりはない。

・電気もモジュール化へ
この通信モジュール化の記述は、東京電力にも当てはまらないだろうか。特に「国のインフラを支えるエリートとして、優秀な人間がプライドを持って、潤沢な資金をつぎ込んで高品質なネットワークを作り上げてきた」など(注)。日本的特質としてしばしば指摘されるオーバークオリティだとすれば、わずかの安全安心低下を受け入れて電気のモジュール化で発電/送電/配電をアンバンドルして競争を導入し、通信自由化がIT革命を準備したように電気のモジュール化で太陽光、太陽熱、風力、小水力など再生可能エネルギーによる発電を増やし、同時に送電/配電側でもサービスや料金のイノベーションを期待したい。

それらのイノベーションが少しでも東日本大震災の復興の力となり、またそれらのイノベーションが日本発で世界に広がっていけば素晴らしいことだろう。


(注) 福島原発が世界中を不安に陥れている中で安心安全を論じるのを疑問に思う方もいると思うが、本エントリでは原子力発電を含まないで考察している。そもそも原子力発電は東京電力が独自に進めているものではないし、意思決定やコスト構造も不明確である(東京電力の事故対処を是認しているわけでない)。筆者は電力ネットワークをモジュール化した上で原子力関連はすべて電力会社から切り離し、(原発が存続する場合には)原発で作られた電気を電力会社が購入するように変更すべきと考えている。

(*1) 経済学/経営学的に言えば、公共的事業の自然独占云々となるのだが、ここでは割愛。


<参考文献>
山岸俊男『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』集英社インターナショナル 2008
藤本隆宏他『ものづくり経営学』光文社 2007