2012年2月12日日曜日

子育てとコーポレート・ガバナンス

突然ですが質問です。

「そんなんじゃ、皆に笑われるよ」と子供に言ったことがありますか?
お子さんがいない方は、自分がそう言われて育てられましたか?

筆者には小さな子供が二人いて、振り返ってみるととときどき言っている。

昨年12月のエントリ「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」と「「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」の背景」で書いたように、日本社会は市場志向の努力が進められる一方で、いわゆる旧来の日本的関係志向が強固に残っており、私見では2005年前後からむしろ日本的関係志向への揺り戻しすら感じる。

開国、明治維新に始める欧米文明移植から第二次世界大戦敗戦でいったんリセット方向修正、戦後民主主義のもとで高度経済成長を謳歌した後の近代化総仕上げとして1990年代後半に行われた市場化=欧米化改革で日本はグローバル化を完了。のはずだったのだが。。。

筆者はもう40代なので、20代、30代のときのように誰かを悪者に仕立てた陰謀説や日本もうダメ=アメリカ万歳説に与するのではなく「なぜ、どのように日本的伝統的価値観が社会に保存されるのか」を考えるべく改めて日本社会についての本を読んでみた。
そのうちの一冊がルース・ベネディクト『菊と刀』(1946)。言わずと知れた日本人論の古典で、彼女は日本を訪れたことがなかったが、文化人類学観点からなされたその考察は単なる歴史的興味ではなく【現代の】日本人論としても通じる鋭い指摘が多い。

『菊と刀』は指摘する。
日本では「赤ん坊と老人とに最大の自由と我が儘とが許されている」。この指摘で誰を我が儘老人として想起するかは各自にお任せするとして、本題はここから。
(幼少時に親にからかわれた)「このような経験は、成人した日本人に顕著に認められる、嘲笑とつまはじきに対する恐怖心を培う肥沃な土壌となる」 
「年長者は子供に向かって、「これこれのことをすれば、世間の人の笑いものになる」と言い聞かせる。」
 「これらの規則は、自分の意志を、しだいに増大していく、隣人、家族、ならびに国家に対する義務に服従せしめることを要求する。」

要するに、
他人から笑われれば恥である。自分の恥は自分の属する組織の恥である。周りに迷惑をかければ仲間はずれという懲罰を被る。

こうやって見てみると、まさにムラ社会の掟である。そして子育てにおけるこの掟の伝承は、まさにある環境下での生存戦略伝授に他ならない。

子育て中の我々もまたそのプロセスのまっ只中にいる。そう、子供に「そんなんじゃ笑われるよ」と言って躾を行うことは、進んだ西洋文化に対置される時代遅れの(?)日本的関係志向社会の維持を無意識のうちに担っているということだ。
では我々は市場化を推進したい場合、悔い改めて教育方針をリセットすべきなのか? 子供に「笑われますよ」と言えばたちまち守旧派になってしまうのか?

恐らくそう簡単ではない。先ほど「ある環境下での生存戦略」と述べた通り、現状の日本でうまくやっていくためには、現状の日本に合わせた行動がまずは必要なのだから。

今日はここまで。

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