2011年4月2日土曜日

統合化とモジュール化 東京電力とNTT

安全安心。
今般の東日本大震災で改めてクローズアップされることになった安全安心は「統合化とモジュール化」においても非常に重要な論点で、ちょうどこれから論考を進めるところだったのだけれど、現実が先回りしているので、ちょっと先に書いておきたい。

かつて2003年頃に米国産牛肉がBSE騒ぎで輸入禁止になったとき、吉野家の安部社長は「安心と安全は違う」と発言した。安全を求められれば客観的に定量化された基準をクリアすれば良いが、安心を求められると短期的には対応しようがない。安心は顧客の主観的問題だからだ。
また、山岸(2008)は安心と信頼を対比させ、日本は安心社会で閉鎖的村社会の相互監視によって、米国は信頼社会で流動的社会の制度(法律)によって取引の安全が担保されているという。

しかし、ここではあまり深入りせず、一般的用法として安全安心の語を使おう。
前回のエントリ、統合化とモジュール化 21世紀のアップル 1で明らかにしたように、統合化にあってモジュール化にないメリットが安全安心である。例えばPCを自作した場合、それが動かなくなっても、相談するカスタマーセンターがない。いわゆる自己責任だ。これではよほど金銭に余裕があるか、スキルが高い人でないと手が出せない。趣味としてはOKでも一般への普及は難しい。また、仮に家庭で使用している家電製品が加熱による火災などの事故を起こせば財産のみならず生命にも危険が及ぶから、安全安心なメーカー品を買おうとする心理が働く。
このように、安全安心が重要視される場合、その製品/サービスは統合化されている必要がある。クリステンセン的に言えば、「安全安心が不十分」なのだ。仮にモジュール型のアーキテクチャであっても、完成品メーカーがパッケージ化し、顧客に対して最終的な責任を負う。

安全安心が重視されるのは前述のようにユーザから見て、製品が高価だったり、事故が起きた場合の損害が重大な場合である。このような場合には最終製品形態において統合化が要求される。
先行研究において、自動車産業はすり合わせが必要なのでインテグラル(統合型)とされているが、一つには安全安心が非常に重要な製品であるので、少数の大規模な完成品メーカによって提供されるという側面があると思われる。

安全安心は以下の三つの要素からなる。
1)製品自体の耐久性、安全性が高い
2)ただ一つの窓口が責任を持って対処(通常はメーカーまたは売り手)
3)万が一事故が起こったときに対処/賠償する体力がある

自動車で言えば、自動車は高価であり、事故時のリスクが非常に高いので安全安心が重要である。そこでトヨタが統合化製品として提供し、これら1~3を満たしている。

これまでの話のどこが東日本大震災と関係しているのだろうか。賢明なる読者であればお気づきであろう、そう東京電力である。今日、東京電力は福島原子力発電所の事故に端を発してその垂直統合的独占性を批判されている。ではなぜ垂直統合的独占が続いてきたのか。本論の観点で言えば(*1)、電気は事故時のリスクが高いから高度に安心安全が要求される。だから一社で統合的に提供されてきたのだ。
では、どうすれば良いか。クリステンセンに従えば、電気における安全安心が現状で不十分なら統合したままでよい。もし十分ならモジュール化すべきということになる。
電気は電気事業法等で規制されており、他の産業のようにいつの間にかモジュール化が進行、ということがないから、モジュール化を進める場合(競争を導入する場合)は政策的な合意と方向付けが必要になる。

・通信のモジュール化
電気事業における発電/送電/配電は、通信における長距離/市内/アクセス回線と似ている。かつて長距離/市内/アクセス回線を一手に握っていた電電公社は1985年に民営化、さらに1999年には分割された。その結果、競争が行われ通信サービスは多様化し、通信料は大幅に低下した(低下が十分かどうかは別)。さらにこの通信自由化が後のインターネット普及とIT革命の布石となった。

電電公社が民営化されるときも、NTTが分割されるときも「安全安心が失われる」という反対論があった。そして前述のようにその主張はある程度正しい。問題は安全安心が十分か否か、である。
結論として、安全安心は十分だった。たぶんかなり余裕を持って十分だった。理由は簡単で、国のインフラを支えるエリートとして、優秀な人間がプライドを持って、潤沢な資金をつぎ込んで高品質なネットワークを作り上げてきたからである。だからすでに「十分」なラインのはるか上方にいたため、モジュール化(競争及び他社との接続、設備貸出)で多少の安全安心が失われたとしても、依然として安全安心は十分だったのである。わかりやすく言うと、合格点が80点のテストで、統合型が98点、モジュール型が95点だと、確かに点数は相対的に下がったが余裕を持って合格という点に変わりはない。

・電気もモジュール化へ
この通信モジュール化の記述は、東京電力にも当てはまらないだろうか。特に「国のインフラを支えるエリートとして、優秀な人間がプライドを持って、潤沢な資金をつぎ込んで高品質なネットワークを作り上げてきた」など(注)。日本的特質としてしばしば指摘されるオーバークオリティだとすれば、わずかの安全安心低下を受け入れて電気のモジュール化で発電/送電/配電をアンバンドルして競争を導入し、通信自由化がIT革命を準備したように電気のモジュール化で太陽光、太陽熱、風力、小水力など再生可能エネルギーによる発電を増やし、同時に送電/配電側でもサービスや料金のイノベーションを期待したい。

それらのイノベーションが少しでも東日本大震災の復興の力となり、またそれらのイノベーションが日本発で世界に広がっていけば素晴らしいことだろう。


(注) 福島原発が世界中を不安に陥れている中で安心安全を論じるのを疑問に思う方もいると思うが、本エントリでは原子力発電を含まないで考察している。そもそも原子力発電は東京電力が独自に進めているものではないし、意思決定やコスト構造も不明確である(東京電力の事故対処を是認しているわけでない)。筆者は電力ネットワークをモジュール化した上で原子力関連はすべて電力会社から切り離し、(原発が存続する場合には)原発で作られた電気を電力会社が購入するように変更すべきと考えている。

(*1) 経済学/経営学的に言えば、公共的事業の自然独占云々となるのだが、ここでは割愛。


<参考文献>
山岸俊男『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』集英社インターナショナル 2008
藤本隆宏他『ものづくり経営学』光文社 2007

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