2010年11月16日火曜日

コンテンツへの対価支払システムとしての広告を考える

デジタル時代のコンテンツについて、対価支払システムとしての広告から考えてみた試論。

【前提】
テレビ、新聞、雑誌等の広告費を主な収入源とするメディア(以下「テレビ等」)はコンテンツで視聴者のeyeball(目玉)をできるだけ多くひきつけ広告に誘導することによって対価として広告費を受け取る。受け取った広告費はコンテンツ製作者に配分される。これが既存のマスメディア広告システム(注1)(注2)。

【仮説】
1)ネットの台頭によりテレビ等の視聴機会が減った(注3)
2)テレビ等広告へ投入される広告費は減少し、その分がネット広告へ回った(注4)

【脳内検証】(数値は仮のもの)
例えばプロ野球中継がドル箱だった時代の試合中継広告費を100とする。視聴率が低迷してテレビ広告効果が落ち単価が40%下落して広告費が60になるべきところ、単価が落ちた分を広告回数を増やす動きによって総額は75になった(A)。ネットにeyeballを奪われたのであれば、残り25はネット広告に回るはず(B)。ところが実際には10しかネット広告に移行していない。

(A)単価下落を回数増で補った15のうち6はネットに移行したeyeballを追ってネットに移行すべきだったのに、なんらかの理由、例えば適当なネット広告出向先が見当たらない、クライアントの理解不足等でテレビに滞留(a=6)。

(B)テレビ等広告が失った25のうち10しかネットに移行しておらず、残りの15は広告に支出されず広告費純減(b=15)。

従って理論的にはテレビ等が失った25とネットに移行すべきなのにテレビ等に滞留しているa=6を足した31がネット広告に支出されるはずであるが、実際には10しかネット広告に移行していない。現状のネット広告市場は本来のポテンシャルの3分の1の規模に過ぎない。

【脳内結論】
既存マスメディアがネットに視聴者のeyeballを奪われているのは事実だが、広告費の移行はeyeballの移行に比例しておらず、ネット広告は現状の数倍の市場規模になるポテンシャルがある。ネットへの広告費がスムーズに移行していない原因には広告効果の評価基準が定まっていないことや、テレビ等が果たしていた「マスへの訴求」がネット広告には欠けている点等が挙げられよう。
いずれにせよ、現状のグーグルに代表されるネット検索広告は「お金を払ってeyeballをつかまえる」システムとしては思われているほど万全でもないし、支配的でもない可能性がある。

【言いたいこと】
コンテンツ製作者へのネット上の対価配分システムはグーグルの検索広告で完成したわけではない。まだ大いなるイノベーションの余地がある。

【補足】
下記注3,4で明らかなとおり、ネット化による構造変化によって広告費合計は100を大きく下回るのかもしれない。そうだとしても、資金供給側がかつては100を支出していた(実際には消費者が負担していた)という事実はコンテンツ製作者への配分を考える上で示唆に富む。

【注】
(注1)音楽、映画は消費者がコンテンツに直接対価を支払うシステム。

(注2)雑誌、新聞も購読料としてユーザから対価を得る部分もあるが、それだけでは経営が立ち行かないのは雑誌、新聞の現状が物語っている。それでも日本はアメリカよりも購読料の割合が高いのでネットのマイナスの影響が相対的に少ないとの指摘がある。

(注3)厳密にはライフスタイルの多様化に伴うものであり、すべてがテレビ等からネットに移行したわけではないだろう。

(注4)もともと既存マスメディアは流通を独占してレント(超過利潤)を得ていたとの指摘がある(注5)。だとすれば、ネット化で流通独占が崩れたことによって広告費全体が減少する。例えば従来100だった広告費がネット化によって90になるのかもしれない。

(注5)例えば、佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』(2010),岸博幸『ネット帝国主義と日本の敗北』(2010)

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