前回のエントリ「日本型コーポレート・ガバナンスの行方」を読み返してみると、筆者が守旧派を代表して大杉先生にケチをつけている!と受け取られてしまいそうなので急いで補足。「筆者は市場志向寄りの改革を支持しております!」
今を遡ること十数年前、伝統的日本的企業に勤める筆者は若かったこともあり会社組織の不合理さに嫌気がさしながらも下積みは大事だしと悶々鬱々の日々を送っていたけれど、パソコンそしてインターネットが浸透し始めるやその魅力に取りつかれた。個人が簡単に情報を収集/発信でき、海外とも瞬時に情報をやり取りできるネット時代の到来を目前に控え、日本社会にも大きな変化が起きると確信し、年功序列で成果能力無視の伝統的日本的企業は生き残れない、また自分でもIT革命に寄与したいとの思いで2000年にITベンチャーへ転職した。
このIT革命が進行した1990年代後半は、バブル経済崩壊を経て日本経済が旧い体質から生まれ変わろうとしていた時期に重なる。フリー、フェア、グローバルを旗印に市場原理導入のため金融市場、会計、会社法制の大改革が押し進められた。市場主義の前提となる個の確立は、インターネットとも相性が良い。これで経済合理性を欠く伝統的日本的経営は淘汰されようやく近代的資本主義経営に「進化」すると期待された。
宮島英昭で言えば「関係志向から市場志向」、山岸俊男なら「安心社会から信頼社会」、河合隼雄では「場の倫理から個の倫理」。今にして思えば、この期待の根底には遅れた状態からの進んだ状態へのキャッチアップという直線的歴史観が暗黙に仮定されていたと思われる。
ところが2011年12月現在。終身雇用、株式持合、部外者を排除する経営姿勢等が相変わらず日本的経営の特徴又は欠点として挙げられている。そして何より驚きなのは「革新的」「グローバル」に惹かれた若者が集まって10年前に生まれたベンチャー企業は、一部上場企業に成長した一方で、いつの間にか他の多くの日本的企業と同じ特徴又は欠点を具備し、他の多くの日本的企業と同じ閉塞感に悩まされるようになってしまったことだ。
だから筆者はこの国の【いわゆる日本的なものが保存される力】の密やかな強靭さを二重に体験したわけで、これを振り返ってそのメカニズムを検証することは「敗軍の将、兵を語る」なのであります(将じゃないけど)。
1990年代からの市場化努力が中途半端にスタックしている日本は何らかの阻害要因によって遅れた状態に留め置かれているのか。そうならどうやって克服するか。あるいはそもそもの目標設定に問題があったのか。
2011年12月18日日曜日
2011年12月16日金曜日
日本型コーポレート・ガバナンスの行方
会社法と金融商品取引法を専門とされるツイッターでもおなじみ(?)大杉謙一先生の「会社法で企業不祥事を防げるか」(以下「大杉論考」)を読んで考えたことを書いてみる。
筆者は一部上場事業会社の管理部門に所属しているので、自ずから企業内部の視点になろう。なお、文中の意見や判断は所属企業に関係なく筆者個人のものである。
もともと会社法の見直しが進んでいる中、測ったようなタイミングで起きた大王製紙、オリンパスの不祥事が重なってコーポレート・ガバナンスの議論が盛り上がっている。大杉論考では法制審議会の議論を意識しつつ二つの改善提案がなされている。「監査・監督委員会」と「役員人事の委員会制」である。
大杉論考が提案する役員人事の委員会制(「新指名委員会」と呼ぶ)は、現行の委員会設置会社の指名委員会(これを「現指名委員会」と呼ぶ)ほど縛りがきついものではなく、「委員会のメンバー構成や意思決定の方法については各社の工夫に任せて良い」から、会社法ではなく上場規則で義務づけても良い、とされている。
経営者が自分で自分もしくは自分の意に沿う後継者を指名することは経営トップへの「権力の過度の集中」と見なされ、新指名委員会方式が提案されているのだろう。
ところで経営トップを含む取締役が社内から昇進してくることが日本企業の伝統的特徴である。伝統的かつ現在も受け継がれている慣習には、それが存続している意味がある。経営者が社内から選抜される制度は長期雇用と結びついて組織「内部」のコミュニケーションを著しく効率化しコーディネーション・コストを低下させるという経済的合理性を持つ。これが日本企業の特徴である。
ということは、この慣習は短期的にすぐに変わりそうにない。
こういった我が国の組織行動・文化を前提としたとき、どのようにして経営者以外のメンバーが経営者の意向を排除して適任者を選べるだろうか。
現行の委員会設置会社の制度が目指したように、アメリカではそれがワークしている、という反論があろう。だがアメリカでは経営者市場があり「外」からつれてくることが可能だ。経営者市場は成果主義で任期が保障されない反面、報酬は著しく高額である。また経営者は修士、博士の高学歴が多く経営の基本プロトコルを共有しているために業種に関わらず行き来が可能で、それを支えるのがMBAなどのビジネススクールに代表される教育インフラだ。また会社組織も短期間で経営者が成果を出すため、経営者に強い裁量が与えられているし(例えば従業員の解雇)、従業員も企業特殊的スキルではなく一般的スキルを磨いて転職を厭わない。それが日本のような企業毎でない職種毎の労働組合にも反映されている。
日米比較を書き連ねたのは、会社制度が社会・文化と密接に結びついた相互補完的なものだと言いたいからだ。目についた良いところだけ持ってくるとか、悪いところだけを削るとか、簡単にはいかないのである。経営者選任について言えば、アメリカではモジュール化、日本では長期雇用+内部昇進でコミュニケーションを確保しコーディネーション・コストを低減している。(注1)
こう考えてくると、新指名委員会は経営者を「外」に求めるのか「内」に求めるかによって発揮する機能と課題が変わってくるだろう。
「外」の場合、今まで導入が進まなかった現指名委員会とどこが異なるのか?
また「外」の場合は欧米式推進となるが、欧米を範として日本企業も変わるべきというなら前述の相互補完性をどう考えどう対処するのか。
「内」の場合、新指名委員会はどうやって経営者の意向を排除しつつ内部から適任者を選抜するのか。伝統的日本企業において彼氏彼女の最大の強みは長年の勤続で培った企業特殊的コミュニケーション・スキルであり外部からの評価は難しいだろう。
オリンパス騒動において、(財テク失敗の損失隠しはいったん横において)買収に絡む不自然な価格付けや手数料支払いについてコーポレート・ガバナンス上の問題だったのは、経営トップが「不自然ではあるが形式的には違法とまでは言えない」トランザクションを強行しようとするときにどう対応するかだ。経営トップに対峙することが最も期待されていたのは法が与える権限も併せて考慮すれば大杉論考も指摘するように監査役であろう。では仮に新指名委員会方式でより使命感の強い監査役が指名されていたとして、どう状況が変わったであろうか? 経営トップが「違法じゃないやん、ええやん」と言って開き直ったとき、どう対処すれば良かったのだろう?
このコンテクストで、アメリカでは社外取締役が取締役会の過半数を占めており、また社外取締役は現役の他社経営者が多いということの意味が明瞭になってくる。前者はいつでも経営トップを解任できるという経営者への強い規律付け、後者は経営判断の妥当性判断(現在の我が国の議論と異なり、社外取締役は会計の正確性や適法性の厳密な判定を求められていない)を担保している。
経営の妥当性となると(他社の)現役経営者である社外取締役が「その手数料、高すぎるやん」と言えるし、自分自身も株主に対して説明責任を負い経営者市場での評価もあるから、「説明できんなら承認できんわ」「これ以上わからんこというならクビ」と言える。
経営者に大きな権限というエンジンを与える一方、よく効くブレーキを装備ということだ。
アメリカのシステムはよくできていると思うけれど、エンロンしかりMFグローバルしかりでやはり不正は起きる。というか大規模な不正で監査法人が消滅したりと、ネガティブな面でもスケールが違う。アメリカ型に完全追従したところで不正の起きないガバナンスが手に入るわけではない。
では、社外取締役が極めて少ない日本企業におけるエンジンとブレーキはなんだろうか?
話が大きくなって恐縮だが、現在の会社法制改革は英米式市場主義(市場志向)と我が国の伝統的な組織観(関係志向)を両端に持つスペクトラムのどこを目指して制度設計しようとしているのか、という点が不明瞭だと思う。会社法制というより日本社会について、と言うべきかもしれない。あれはアメリカから、これはドイツから、そこは日本独自で、という寄せ集めは良く言えば柔軟で日本らしいけれど、全体最適化の視点がないと現場は混乱するばかりで効果が十分に発揮されない。
同様に、会社法制のよって立つ理念は会社法以外の法律や制度とも整合性を保つべきで、例えば開示強化や四半期業績重視(市場志向)、解雇規制や一定年齢までの雇用義務付け等(関係志向?)も一貫性を持って説明されるべきだと思うのである。
(注1) 2011年12月15日付日刊工業新聞は、社長公募で話題を呼んだユーシン社で外務省現役官僚だった候補者が本年5月に入社したものの、既に社長になることなく退職が決まったと伝えている。拙速な一般化は慎むべきだが日本企業で外部から経営者を招く難しさを示唆しているようだ。
<参考文献>
青木昌彦著、谷口和弘訳『コーポレーションの進化多様性』NTT出版,2011
神田秀樹他編『コーポレート・ガバナンスの展望』中央経済社,2011
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社,1967
宮島英昭編『日本の企業統治』東洋経済新報社,2011
リチャード・N.ラングロワ著、谷口和弘訳『消えゆく手』慶応大学出版会,2011
筆者は一部上場事業会社の管理部門に所属しているので、自ずから企業内部の視点になろう。なお、文中の意見や判断は所属企業に関係なく筆者個人のものである。
もともと会社法の見直しが進んでいる中、測ったようなタイミングで起きた大王製紙、オリンパスの不祥事が重なってコーポレート・ガバナンスの議論が盛り上がっている。大杉論考では法制審議会の議論を意識しつつ二つの改善提案がなされている。「監査・監督委員会」と「役員人事の委員会制」である。
大杉論考が提案する役員人事の委員会制(「新指名委員会」と呼ぶ)は、現行の委員会設置会社の指名委員会(これを「現指名委員会」と呼ぶ)ほど縛りがきついものではなく、「委員会のメンバー構成や意思決定の方法については各社の工夫に任せて良い」から、会社法ではなく上場規則で義務づけても良い、とされている。
経営者が自分で自分もしくは自分の意に沿う後継者を指名することは経営トップへの「権力の過度の集中」と見なされ、新指名委員会方式が提案されているのだろう。
ところで経営トップを含む取締役が社内から昇進してくることが日本企業の伝統的特徴である。伝統的かつ現在も受け継がれている慣習には、それが存続している意味がある。経営者が社内から選抜される制度は長期雇用と結びついて組織「内部」のコミュニケーションを著しく効率化しコーディネーション・コストを低下させるという経済的合理性を持つ。これが日本企業の特徴である。
ということは、この慣習は短期的にすぐに変わりそうにない。
こういった我が国の組織行動・文化を前提としたとき、どのようにして経営者以外のメンバーが経営者の意向を排除して適任者を選べるだろうか。
現行の委員会設置会社の制度が目指したように、アメリカではそれがワークしている、という反論があろう。だがアメリカでは経営者市場があり「外」からつれてくることが可能だ。経営者市場は成果主義で任期が保障されない反面、報酬は著しく高額である。また経営者は修士、博士の高学歴が多く経営の基本プロトコルを共有しているために業種に関わらず行き来が可能で、それを支えるのがMBAなどのビジネススクールに代表される教育インフラだ。また会社組織も短期間で経営者が成果を出すため、経営者に強い裁量が与えられているし(例えば従業員の解雇)、従業員も企業特殊的スキルではなく一般的スキルを磨いて転職を厭わない。それが日本のような企業毎でない職種毎の労働組合にも反映されている。
日米比較を書き連ねたのは、会社制度が社会・文化と密接に結びついた相互補完的なものだと言いたいからだ。目についた良いところだけ持ってくるとか、悪いところだけを削るとか、簡単にはいかないのである。経営者選任について言えば、アメリカではモジュール化、日本では長期雇用+内部昇進でコミュニケーションを確保しコーディネーション・コストを低減している。(注1)
こう考えてくると、新指名委員会は経営者を「外」に求めるのか「内」に求めるかによって発揮する機能と課題が変わってくるだろう。
「外」の場合、今まで導入が進まなかった現指名委員会とどこが異なるのか?
また「外」の場合は欧米式推進となるが、欧米を範として日本企業も変わるべきというなら前述の相互補完性をどう考えどう対処するのか。
「内」の場合、新指名委員会はどうやって経営者の意向を排除しつつ内部から適任者を選抜するのか。伝統的日本企業において彼氏彼女の最大の強みは長年の勤続で培った企業特殊的コミュニケーション・スキルであり外部からの評価は難しいだろう。
オリンパス騒動において、(財テク失敗の損失隠しはいったん横において)買収に絡む不自然な価格付けや手数料支払いについてコーポレート・ガバナンス上の問題だったのは、経営トップが「不自然ではあるが形式的には違法とまでは言えない」トランザクションを強行しようとするときにどう対応するかだ。経営トップに対峙することが最も期待されていたのは法が与える権限も併せて考慮すれば大杉論考も指摘するように監査役であろう。では仮に新指名委員会方式でより使命感の強い監査役が指名されていたとして、どう状況が変わったであろうか? 経営トップが「違法じゃないやん、ええやん」と言って開き直ったとき、どう対処すれば良かったのだろう?
このコンテクストで、アメリカでは社外取締役が取締役会の過半数を占めており、また社外取締役は現役の他社経営者が多いということの意味が明瞭になってくる。前者はいつでも経営トップを解任できるという経営者への強い規律付け、後者は経営判断の妥当性判断(現在の我が国の議論と異なり、社外取締役は会計の正確性や適法性の厳密な判定を求められていない)を担保している。
経営の妥当性となると(他社の)現役経営者である社外取締役が「その手数料、高すぎるやん」と言えるし、自分自身も株主に対して説明責任を負い経営者市場での評価もあるから、「説明できんなら承認できんわ」「これ以上わからんこというならクビ」と言える。
経営者に大きな権限というエンジンを与える一方、よく効くブレーキを装備ということだ。
アメリカのシステムはよくできていると思うけれど、エンロンしかりMFグローバルしかりでやはり不正は起きる。というか大規模な不正で監査法人が消滅したりと、ネガティブな面でもスケールが違う。アメリカ型に完全追従したところで不正の起きないガバナンスが手に入るわけではない。
では、社外取締役が極めて少ない日本企業におけるエンジンとブレーキはなんだろうか?
話が大きくなって恐縮だが、現在の会社法制改革は英米式市場主義(市場志向)と我が国の伝統的な組織観(関係志向)を両端に持つスペクトラムのどこを目指して制度設計しようとしているのか、という点が不明瞭だと思う。会社法制というより日本社会について、と言うべきかもしれない。あれはアメリカから、これはドイツから、そこは日本独自で、という寄せ集めは良く言えば柔軟で日本らしいけれど、全体最適化の視点がないと現場は混乱するばかりで効果が十分に発揮されない。
同様に、会社法制のよって立つ理念は会社法以外の法律や制度とも整合性を保つべきで、例えば開示強化や四半期業績重視(市場志向)、解雇規制や一定年齢までの雇用義務付け等(関係志向?)も一貫性を持って説明されるべきだと思うのである。
(注1) 2011年12月15日付日刊工業新聞は、社長公募で話題を呼んだユーシン社で外務省現役官僚だった候補者が本年5月に入社したものの、既に社長になることなく退職が決まったと伝えている。拙速な一般化は慎むべきだが日本企業で外部から経営者を招く難しさを示唆しているようだ。
<参考文献>
青木昌彦著、谷口和弘訳『コーポレーションの進化多様性』NTT出版,2011
神田秀樹他編『コーポレート・ガバナンスの展望』中央経済社,2011
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社,1967
宮島英昭編『日本の企業統治』東洋経済新報社,2011
リチャード・N.ラングロワ著、谷口和弘訳『消えゆく手』慶応大学出版会,2011
2011年12月5日月曜日
オリンパス騒動 臨時株主総会?
川井先生がブログ「ウッドフォード氏、取締役辞任。委任状争奪戦へ?」でウ氏がオ社臨時株主総会開催を請求した場合のシナリオについて検討しているのを読んで、実務面でちょっと気になった点があるので派生記事(?)を書かせていただこう。
筆者の私見ではウ氏の狙いは現経営陣に揺さぶりをかけて自発的な辞職および臨時株主総会での新経営陣選任を迫るもので、実際に自ら臨時株主総会を請求する可能性はゼロではないにせよ、高くないと思っている。委任状争奪戦、いわゆるプロキシファイトについても同様。ついでに言えば、「自分以外の取締役はクロだから全員辞職せよ、ただし私は社長に戻る」というウ氏の主張はあまり説得力がなく上手な戦い方とは思えない。
ところで会社法297条はある条件を満たした大株主が臨時株主総会開催を請求し、会社がその請求から8週間以内の日を株主総会の日とする招集通知が発送しない場合には、裁判所の許可を得て自ら臨時株主総会を招集することができる、と定めている。これは臨時株主総会の開催には8週間もあれば十分、という認識が背景にあるのだろう。
臨時株主総会を開催するには以下の手順が必要である。
1) 取締役会で基準日設定
2) 官報・日刊新聞紙掲載申込、または電子公告の場合は電子公告調査機関への申込
3) 基準日公告(基準日の2週間以上前)
4) 基準日
5) 株主名簿の株主確定+発送準備(3~4週間)
6) 招集通知発送(臨時株主総会の2週間以上前)
7) 臨時株主総会
大株主から請求を受けたその日に取締役会を招集開催して基準日設定したとしても単純合計で7~8週間かかり、8週間以内に開催するのは難しい。しかも法に定める2週間前の招集通知発送では海外投資家の議決権行使が困難なため、特に外国人持株比率が高い会社は3週間前を目安に招集通知発送前倒しを心がけることを勘案すれば、会社法297条が要求する「請求から8週間以内を期日とする株主総会招集通知発送」は実現困難な規定といわざるを得ない。
念のためちょっと確認。
証券代行業務最大手の某信託銀行の担当者は匿名を条件に(笑)「確かに実際には難しいし、自分の知る限り上場会社が会社法297条の規定に基づき、大株主の請求から8週間以内に臨時株主総会を開催した例はない」とのこと。
四大法律事務所(最近は五大?)の弁護士先生は「仮に大株主がその点を理由として自らの招集を請求しても(早まるどころか余計に遅くなるので)裁判所が認めないだろう」、「公開会社を想定していない規定かもしれない」とのコメントでした。
ま、実務上はあまり問題にならないのかもしれませんね。
<オリンパス騒動へのインプリケーション>
ということで、もし可及的速やかに臨時株主総会を開催するとしても来年3月頃。新経営陣候補者を選ぶ時間を考えれば、またその前提となる経営刷新の方針が関係者に合意承認され、それが新経営陣候補者選定に反映されるべき点を考慮すれば、もう少し時間が必要だろう。そうなると臨時株主総会は4月、5月にずれていく。6月には定時株主総会があるわけだから、なにもその直前に拙速に臨時株主総会を開くことはあるまい、となるのが世の常、な気がする今日この頃なのである。
でわ。
※ 2011年12月6日 <オリンパス騒動へのインプリケーション>追加
筆者の私見ではウ氏の狙いは現経営陣に揺さぶりをかけて自発的な辞職および臨時株主総会での新経営陣選任を迫るもので、実際に自ら臨時株主総会を請求する可能性はゼロではないにせよ、高くないと思っている。委任状争奪戦、いわゆるプロキシファイトについても同様。ついでに言えば、「自分以外の取締役はクロだから全員辞職せよ、ただし私は社長に戻る」というウ氏の主張はあまり説得力がなく上手な戦い方とは思えない。
ところで会社法297条はある条件を満たした大株主が臨時株主総会開催を請求し、会社がその請求から8週間以内の日を株主総会の日とする招集通知が発送しない場合には、裁判所の許可を得て自ら臨時株主総会を招集することができる、と定めている。これは臨時株主総会の開催には8週間もあれば十分、という認識が背景にあるのだろう。
臨時株主総会を開催するには以下の手順が必要である。
1) 取締役会で基準日設定
2) 官報・日刊新聞紙掲載申込、または電子公告の場合は電子公告調査機関への申込
3) 基準日公告(基準日の2週間以上前)
4) 基準日
5) 株主名簿の株主確定+発送準備(3~4週間)
6) 招集通知発送(臨時株主総会の2週間以上前)
7) 臨時株主総会
大株主から請求を受けたその日に取締役会を招集開催して基準日設定したとしても単純合計で7~8週間かかり、8週間以内に開催するのは難しい。しかも法に定める2週間前の招集通知発送では海外投資家の議決権行使が困難なため、特に外国人持株比率が高い会社は3週間前を目安に招集通知発送前倒しを心がけることを勘案すれば、会社法297条が要求する「請求から8週間以内を期日とする株主総会招集通知発送」は実現困難な規定といわざるを得ない。
念のためちょっと確認。
証券代行業務最大手の某信託銀行の担当者は匿名を条件に(笑)「確かに実際には難しいし、自分の知る限り上場会社が会社法297条の規定に基づき、大株主の請求から8週間以内に臨時株主総会を開催した例はない」とのこと。
四大法律事務所(最近は五大?)の弁護士先生は「仮に大株主がその点を理由として自らの招集を請求しても(早まるどころか余計に遅くなるので)裁判所が認めないだろう」、「公開会社を想定していない規定かもしれない」とのコメントでした。
ま、実務上はあまり問題にならないのかもしれませんね。
<オリンパス騒動へのインプリケーション>
ということで、もし可及的速やかに臨時株主総会を開催するとしても来年3月頃。新経営陣候補者を選ぶ時間を考えれば、またその前提となる経営刷新の方針が関係者に合意承認され、それが新経営陣候補者選定に反映されるべき点を考慮すれば、もう少し時間が必要だろう。そうなると臨時株主総会は4月、5月にずれていく。6月には定時株主総会があるわけだから、なにもその直前に拙速に臨時株主総会を開くことはあるまい、となるのが世の常、な気がする今日この頃なのである。
でわ。
※ 2011年12月6日 <オリンパス騒動へのインプリケーション>追加
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