2012年3月9日金曜日

ソーシャルゲーム ガチャとRMT集中講座

ガチャが賭博にあたるのではないかという疑念が世の中でだいぶ高まってきたようだ。例えば下記のブログエントリは最新の新聞記事とブログ記事を参照しており、まとめとして優れている。

もと切込隊長ことやまもといちろう氏のブログ
ソーシャルゲーム(オンラインゲーム)のガチャがRMTと併せ技で賭博法に抵触の可能性について(追記あり)

一方で、ガチャとRMT(Real Money Trade;要するに換金)の関連は必ずしも明確ではなく、もう少し厳密な検討が必要だろう。

以前のエントリ「ソーシャルゲームのアイテム課金、ガチャ規制についての予備的考察」でも指摘したように、賭博は違法であり、射幸心を煽ってはいけないけれど、風俗営業法の規制内でなら少しばかり強めの刺激も認めてあげる、というのがパチンコ/パチスロだ。
ソーシャルゲームのガチャはRMTによって換金が可能ゆえパチンコ/パチスロの三店方式のアナロジーでこれを問題視するなら、必然的にソーシャルゲームのガチャを風俗営業法の規制下におくべし、と主張することになろう。ソーシャルゲームは多少のギャンブル性を認めてもらう代わりにパチンコ店と同様に立地、営業時間、年齢制限、営業方法もろもろの規制に服することになる。

しかし。それはゲーム運営者、プレイヤー、警察方面の方々(規制者)の誰もが幸せにならない未来ではないのだろうか。
(規制者には新たな権益が入ると言う見方もあるでしょうが、規制者側ではたぶんパチンコ/パチスロに議論と関心を飛び火させるなという懸念の方が大きいのでは、などと背伸びして大人な妄想をしたり)
そもそも、換金と賭博罪について若干の誤解があるのかもしれない。

賭博は違法。「ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまる」場合はOK、と刑法185条は定めている。一時の娯楽に供するものとは、ちょっとした飲み物、食事程度を指す。ちなみに金銭そのものは一時の娯楽に供するものではないという判例があるので金額の大小に関わらず違法。なので、一時の娯楽に供するものを超える(まあ、高額なものと言って良いだろう)【モノ】も賭けたらダメなのである。
「金銭はダメでモノなら良い」は誤解。「アイテムをRMTで換金した途端に違法になる」も誤解。

ネットオークションという広く開かれた市場で取引されている値段はそのアイテムの客観的な時価を表すと考えられる。この客観性は価格の指標性、アクセス及び取引の容易さ、高い流動性を含む。ネットオークションにおいて一定の頻度で、数万円、場合によっては10万円を超す値段で取引されていれば、そのアイテムはどう考えても「一時の娯楽に供するもの」とは言えないだろう。

もう一つ、ガチャでゲーム運営会社の収益が数億円、数十億円単位で大きく向上する/したと仮定すると、そのこと自体が「一時の娯楽に供する」モノを賭けているとは言えず、まさに射幸心を煽っている状況だ。

もっとも、この点についてはゲーム運営側に反論の余地がある。ガチャのプレイ実績数(登録ユーザ数ではありませぬ)とガチャの合計収益を開示すれば良い。「多くのプレイヤーと少額な収益」でそれほど一人当たり多額のカネが動いていないなら杞憂でした、となるし、逆に(以下略)。

三店方式のアナロジーにこだわらず、1)客観的に高額と評価されるアイテムを得ようと2)多額の金銭が動いている点にフォーカスした方がシンプルな分、議論として強い気がするし、トレーディング・カードに比べてこっちの問題が際立つとも言えよう(トレーディング・カードの実情は良く知らないのですけれど)。
【今日の教訓】
RMTが直接的に問題なのではない。客観的に高額なアイテムを射幸心を煽る方法で提供することが問題。
いつも通り、考えながら調べながらの思考実験ですので、ご意見や情報がありましたら優しくご教示いただけますと幸いです。これまでも多くのフィードバックをいただき感謝です。

「木綿のハンカチーフ」(椎名林檎版)を聴きながら

2012年3月6日火曜日

年功序列と比較優位(その1)

年功序列。
言わずと知れた日本的経営の要諦で、勤続が長くなるほどに偉くなって給料が上がる仕組み。

典型的には、主任、係長、課長、次長、部長と上がっていき、さらに会社によってはこれらに代理や代行が組み合わされたり、「総務部長」と「総務部 部長」の使い分けがあったりと、外部から(いや内部でも)序列を正確に把握するのはなかなか簡単ではない。
いずれにせよ、これらの役職階段を一段一段上がっていくことは一般的に部下が増えることを意味している。要するに人事管理としてのマネジメント負担が昇進に比例して増大していくわけだ。

すると、一つ疑問が生じる。
「自分は職人で手を動かすのが好きだし、得意だ。人事管理なぞに煩わされたくない。」というエクスパート(専門職)な方々はどうなるのか。比較優位理論によれば、エクスパートはエクスパートに専念した方が会社にとっても日本全体にとってもプラスである。

この対応の一つが、先ほど挙げたように役職を巧妙に使い分けて「部下を持たない」管理職を作ることであり、またオモテの役職とは別にウラの資格で管理する制度である。
ここだけの話、これらはエクスパートのためというよりは、組織内の昇進レースの敗者を優しく包み込む役割の方が大きかったりするのだが、そういうことを公の場で論じてはいけない。
そんなことであれば、堂々とエクスパート制度を作れば良いではないか、と考えるのが自然な流れ。実際、筆者もかつてそう考えて試案を作ったのだ。
いわゆる一般コースでは役職が上がるにつれ給与に占める人事マネジメント相当分が増えていくように、エクスパート・コースでは何らかの業務を人並み以上にこなし(仮に特化業務と呼ぶ)、それが給与の増分を説明する。diversity(多様性)ですからね、これからは!

ところが。
筆者のエクスパート・コース試案は日の目を見ることはなかった。社内で支持を得られなかったのである。しかも意外なことにネガティブなのが経営者サイドよりも、むしろ現場に近い層だった。曰く、

「複数のコースがあるとキャリアプランが混乱し、部下を指導しにくい」
「エクスパートを誰が管理/評価するのか」
「仕事には人事マネジメントの経験と視点が必要である」
「結局、エクスパート・コースは言い訳に使われてしまい、ワークしない」

ハイハイ、皆さんがネガティブなのはわかりました。見送りですね。
どれ一つとっても決定的な理由にはなっていない気がするけれど、とにかく抵抗感は伝わってくる。筆者が思うに、要は、
「みな同じ前提で働くべし」
なんですね。この場合は「全員が同じ人事制度に乗っていなきゃ、やりにくい」と。少なくとも同じ部署や本部の中では。

長くなったので続く(かも)。