2011年8月19日金曜日

『Googleの脳みそ』を読んで

三宅伸吾『Googleの脳みそ』を読んだ。

法と経済の観点から日本の閉塞状況の問題点を指摘し、変革の行動を呼びかける内容(タイトルとは少しギャップがあるかも)。本書の問題意識とその改善の方向性については、ほぼ同意。
敢えて一歩踏み込むなら、日本社会の変革の必要性は特に経済面においてバブル崩壊後20年に渡って叫ばれてきたし、実際に(十分かどうかは別にして)法制度でも対応がなされてきたにも関わらず、閉塞状況が続いているのはなぜか、という疑問。

筆者(kurarix)自身もかつて「日本的企業」に嫌気がさし、インターネットに新しい日本の可能性を感じて2000年にインターネット関連ベンチャーに転職した。
そのころの日本と言えばバブル崩壊後、メインバンク制の終焉とともに、日本は変わらねばならない、キャッチアップ型ではやっていけない、グローバルにならなければ、という(今日とあまり変わらない)問題意識のもとで会社法改正や会計ビッグバンと呼ばれる大きな改革が進められ、さらに資本市場整備の一環として1999年には東証マザーズが開始された。これらは基本的に市場化、グローバル化を目的としていた。フリー、フェア、グローバルというスローガンが今となっては懐かしい。

2011年の今、相変わらずグローバル化や起業家精神が無い物ねだりの標語として掲げられ、結局のところ日本社会の基本的なところは停滞したままで変わっていないように思える。
過去20年で関係者の多大な努力により経済活動の法及びインフラは時代の変化に対応すべく市場化、グローバル化を進めてきたのであるが、本書で指摘されるように日本経済が陥っている閉塞状況は変わっていない。期待された市場化による競争のダイナミズムが十分機能していないようだ。

一例を挙げれば、市場化によって市場による企業への規律付けが働けば企業行動は経済的合理性によって決定され古い日本的経営の象徴である株式持合は消滅すると言われていた。だが実際には2011年現在でも以前に比べて減少したとは言え、株式持合はガバナンス上の問題点であり続けている。
本書で取り上げられている社外取締役の問題にしても、企業が経済合理性に基づいて行動するなら、社外取締役が業績向上に資するのが実証されれば法による強制など待つまでもない。そこで経営者が経済合理性を軽視しているというなら、過去に「悪い経営者を律するのは株主だから、株主権強化、株主総会強化!」と言って会社法(旧商法)をその方向に持っていった法学者の総括を聞きたいところだ。おっと話を元に戻そう。

なぜ20年に渡る市場化の努力にも関わらず競争のダイナミズムが不十分なのか?

努力が足りないからだ、努力の方向性が間違っていた、と反論もあり得るがそれだけではないだろう。「日本的なもの」(もちろんここでは悪い意味で)という想像以上に強固なシステムと闘うには、ここをきちんと考慮した上で今後の処方箋を作る必要があると思う。細分化された各分野における個別戦術の土台となる、一貫した戦略が必要なのだ。

三宅氏は広い分野にまたがる視野と見識を持っているので、是非この点についての氏の考察を聞いてみたい。