2011年5月29日日曜日

統合化とモジュール化 日本のケータイ4 日本とアメリカ

4月のエントリ統合化とモジュール化 日本のケータイでの宿題の一つ。
1)アメリカでアップルによってネット携帯電話の「ニワトリ・卵」が解決され、ひとたびネット携帯電話のエコシステムが定着すれば、日本のガラケーもスマートフォン同様に売れるはずであるが、2011年春時点では日米ともにスマートフォンの勢いが圧倒的である。それはなぜか。


平成
西暦
普及率
前年比
6
1994
13.9
 
7
1995
15.6
12.23
8
1996
17.3
10.90
9
1997
22.1
27.75
10
1998
25.2
14.03
11
1999
29.5
17.06
12
2000
38.6
30.85
13
2001
50.1
29.79
14
2002
57.2
14.17
15
2003
63.3
10.66
16
2004
65.7
3.79
17
2005
64.6
-1.67
18
2006
68.3
5.73
19
2007
71.0
3.95
20
2008
73.1
2.96
21
2009
73.2
0.14
22
2010
74.6
1.91
データ:内閣府 消費動向調査


上記は日本のパソコン世帯普及率である。これを見みると1990年代は着実に成長しているものの水準は低く1999年でも30%に届かず、その後2000年から2003年頃にかけて急速に伸びたことがわかる。伊丹(2001)によれば、1999年のアメリカにおけるパソコン普及率は50%を超えており、さらに企業や学校での普及率や利用状況を考慮すると1990年代末の時点でアメリカのパソコン利用は日本に比べて大きく進んでいたという。
このパソコン利用における日米の差が、2000年代を通じてiモードに始まるネット接続を前提とした携帯電話(以下「ネット携帯電話」)が日本で独自の進化を遂げる一方、欧米で普及しなかった要因となる。

19992月にNTTドコモがiモードを開始したとき、前述のように日本ではアメリカに比してPCとインターネットの普及が遅れていたため、ネット端末としてのPCが確立していなかった。だからネットがユビキタスを目指してコンシューマ市場への浸透を図りネット端末にパーソナル化、コンシューマ化が求められたとき、そしてPCがその要求にすぐには応えられそうにないとき、既にモバイル化した電子デバイスとして十分に普及していた携帯電話がネット接続機能を得てネット端末の主役を狙うのは自然な流れだった。

NTTドコモに続いて他通信キャリアもiモード同様のサービスを開始し、ネット携帯電話は凄まじい勢いで普及していった。下表の通り、1999年に開始してわずか5年後の2003年には日本の「総人口」に対してほぼ50%の普及を果たし、その2年後の2005年には60%に達している。まさに爆発的な勢いと言えよう。1980年代から普及が始まったPC2003年に「世帯」に対してようやく60%だ。
このように日本ではiモード開始を契機としてネット携帯電話がPCの代わりにネットの端末レイヤーの主役となった。

ネット携帯電話の数
CY
IP接続
1998
0
1999
4,000,000
 ←推定
2000
26,866,500
2001
48,495,400
2002
59,527,700
2003
67,805,800
2004
73,554,600
2005
78,252,700
データ:社団法人 電気通信事業者協会(TCA)(1

なぜアメリカでは2000年代にネット携帯電話が普及しなかったのか?
アメリカでは1990年代にPCの普及と利用が進み、ネット端末の標準となっていたからだ。2000年代に入ってアマゾンが電子商取引の雄となりアップルはiTunesで音楽配信に成功。これらは基本的にPCをインフラとしている。グーグルも同様にPCウェブベースのサービスによってマイクロソフトを凌ぐ会社となった。このように、アメリカでは1990年代に普及したネットとその端末としてのPCを、2000年代にインフラとして利用してネットサービスを進化させ世界的にネットの覇権を握った。

アメリカではネット端末の標準となっていたPCに対応して、他のレイヤー、特にコンテンツ/アプリケーションはPCを前提としており、PC向けウェブページにアクセスできることがネット端末の必須要件だった。
だが当時の携帯電話では画面の狭さやハード性能、モバイル回線の貧弱さによりPC向けのウェブページにストレスなくアクセスすることは不可能だった。コンテンツ提供者もPC向け以外にネット携帯電話向けサイトを作るインセンティブがなかったから、アメリカでは携帯電話のボトルネックが解消されて携帯電話でPC向けウェブページにアクセスできるようになるまではネット携帯電話は受け入れられなかった。

このように振り返ってみるとネット利用に関し、2000年代を通じてアメリカはPCをインフラとして使いこなす一方でユビキタス化(コンシューマ化、モバイル化)に不満を持ち続けていた。日本はネット端末としてPCではなくネット携帯電話が主流となりユビキタス化(コンシューマ化、モバイル化)を享受した一方で、キャリア毎に分立したサービスに囲われネットの自由さと豊富な情報から隔絶されていた。(2

以前のエントリ統合化とモジュール化 日本のケータイで、iモードが海外進出に失敗したのはドコモが日本でそうしたように補完的サービスも含めて統合的に提供しなかったからだ、と書いた。しかしアメリカでは仮にドコモが統合的に提供したとしてもうまく行かなかっただろう。アメリカのユーザはPCでのネット体験を知っているが故に、当時の携帯電話でのネット体験には我慢できなかったのだ。

2000年代も後半になってくると、PCベース端末の小型化、高速化、大容量化と同時にモバイル回線の高速化も進み、技術的ボトルネックが解消された。そこで高詳細タッチパネルを用いることによって端末の小型化と表示部の大型化を両立し、PCウェブ画面にアクセスできるようにしたのが2007年に発表されたiPhoneである。PCウェブ画面表示にはモバイル回線の高速化も重要なため、3G回線に対応してからのiPhoneが本当のスマートフォンと言えるだろう。PCにパーソナル、モバイルという付加価値をつけたスマートフォンはアメリカで急速に広まっていく。
こうして2000年代を通じて端末レイヤーの主役の座を争った「モバイル化するPC」(アメリカ)と「PC化する携帯電話」(日本)はスマートフォンという「モバイル化するPC」の勝利で決着がついた。

同じ高機能・多機能な携帯電話なのにアメリカだけでなく日本でもガラケーよりスマートフォンが売れているのは? という宿題の答。
ネットはあらゆる分野で基礎として使われるGPT(汎用技術)としてユビキタスを目指す。その実現に向けて、PCがネット端末としてコンシューマ市場に浸透すべく環境適応したものがスマートフォンでありスマートデバイスだ。2010年代に入ってネット・コンピューティングのユビキタス利用がグローバルに実現しつつあり、アメリカも日本もその環境に包含されつつある。言い方を変えれば、携帯電話の統合型エコシステム(生態系)などというものはもはや存在せず、あるのはネットのエコシステムだけだ。
そんな環境を前提にしたとき、日本のガラケーのように携帯電話から出発してネット接続を付加したものはPC向けウェブにアクセスできなかったり、ネット利用に制限がかかりPCベースのスマートフォンに勝てないのが20115月の現状だ。


(11999年分は統計がないため、松永(2000)の記述等を参考に推定
(2)だから2000年代に携帯電話をネット接続の主役にした日本のやり方が間違っていたわけではないし、アメリカに比べて劣っていたわけでもない。問題はその後の環境変化への対応を怠った点にある。

<参考文献>
伊丹敬之、伊丹研究室『情報化はなぜ遅れたか』NTT出版,2001
松永真理『iモード事件』角川書店,2000

2011年5月28日土曜日

統合化とモジュール化 日本のケータイ3

ネットのレイヤー化,GPTの3ステージ

2010年後半から急速な盛り上がりを見せるスマートフォンにしろ、2011年に2代目が発売されたiPadにしてもスマートデバイスの主戦場はコンシューマ市場である。
まつもと(2011)は「パソコンは企業から導入が始まったが、スマートデバイスはコンシューマから先に受け入れられている」と指摘している(p.184)。野村総研(2011)は、これらスマートデバイスによって企業よりも個人のIT利用環境のほうが高度化する現象を「産消逆転」現象と呼んでいる。
従来ITといえば企業における情報処理や生産性向上が中心だったのに、2011年現在スマートデバイスがコンシューマ市場を主戦場として盛り上がりを見せているのはなぜだろうか。

「ネットのレイヤー化」

インターネットのレイヤー構造
 
 
 
 
コンテンツ・アプリケーション
レイヤー
 
 
 
 
プラットフォーム(認証課金)
レイヤー
 
 
 
 
ネットワーク
レイヤー
 
 
 
 
端末
レイヤー
 
 
 
 


ネットの4つのレイヤー構造は既に何度か登場したが、ここでは端末レイヤーに注目しよう。1990年代のインターネット普及初期にインターネット接続と言えばPCを使うのが普通だった。だがインターネットが普及しインフラとして使われるようになるにつれて、ユビキタス即ち「いつでもどこでもネット接続」が要求されるようになったため、従来のPCだけでは対応できなくなってきた。

1981年にIBM-PCが生まれたとき、PCはあくまでも小さなコンピュータであり、スタンドアロンだった。だが通信の発達に伴い企業では専用線、後には個人が電話線を使って他のコンピュータと繋ぐことが一般的になってきた。さらに1990年代中頃にインターネットが商用に解放され、爆発的に普及し始めるとPCは「ネットの端末」として再定義された。
この歴史的経緯により、ネットの端末はPCが始祖であり標準となった。このことは後に大きな意味を持つことになる。

ネットの端末レイヤーにモバイル化、パーソナル化、多様化が求められ始めた1990年代後半において、PCがそれらの要求を満たすことは技術的にまだ困難であり、高速化、大容量化、さらに固定回線から無線回線への切り替えには今しばらく時間が必要だった。一方で既にパーソナル化、モバイル化している電子バイスが存在した。それが携帯電話である。当然のように携帯電話のネット端末化の試みもなされた。
ネットが4つのレイヤー構造にモジュール化されて端末レイヤーが独立して以降、端末レイヤーの主役の座を争ったのが「モバイル化するPC」と「PC化する携帯電話」だった。

GPTと3つのステージ」
GPT(General Purpose Technologies;汎用技術)という概念がある。内燃機関(例えばガソリンエンジン)や電気等の社会のあらゆる部分に影響を与えるGPTは、学術・研究の世界で発見・実用化され、企業で利用され、最後にコンシューマに普及していくという3つのステージを経る。身も蓋もない言い方をすれば、まずコスト度外視で学術界で使われ、まだ高くても有用性が高いと企業で使われだし、品質が安定し安価になると最後にコンシューマに使われるようになる、ということだ。
ネットもGPTの一つだと言われている。カー(2008)がクラウドを論じる中でネットのメタファーとして電気の歴史を対比させているのは象徴的だ。ネットがGPTなら、今ネットはGPTの3つのステージのどこにいるのだろうか。

ネット及びその端末としてのPCは、現在「コンシューマ普及」の初期段階に入ったところだ。インターネットは学術・研究の世界で誕生し、1990年代中盤に商用に解放され企業の利用が進んだ。そしてネットが発達しユビキタスを目指す過程でコンシューマ市場が最後に残ったが、先に述べたようにネット端末としてのPC2000年代において処理速度、容量、通信回線速度・価格がネックとなりコンシューマ市場に十分浸透できなかった。
一方で携帯電話も同様の制約からネット端末の主役の座にはつけなかったが、日本だけは別の経緯を辿ることになった。これは別稿で論じよう。

このようにコンシューマ市場侵入を目論むPCの後裔たちの中でついに目的を達したのがiPhoneやアンドロイドに代表されるスマートフォンであった。
「なぜスマートデバイスはコンシューマ市場で盛んなのか」という冒頭の問いの答えがこれで明らかになっただろう。そもそもスマートデバイスはネット端末の始祖であるPCの進化形としてコンシューマ市場攻略を目的としている。そして2010年代を目前にして処理速度、記憶容量、モバイル通信速度・価格等が技術革新によって「十分になり」ボトルネックが解消されたことによって目的達成が可能になった。即ちスマートデバイスがPCベースのネット端末として最後に残されたコンシューマ市場に浸透し、ネットがGPT(汎用技術)の地位を確立しつつあるのが現在我々が目にしている光景なのだ。


<参考文献>
まつもとあつし『スマートデバイスが生む商機』インプレスジャパン,2011
野村総合研究所技術調査部『ITロードマップ 2011年版』東洋経済新報社,2011
ニコラス・カー『クラウド化する世界』翔泳社,2008

2011年5月11日水曜日

統合化とモジュール化 日本のケータイ2 ガラパゴス

ガラケー(ガラパゴス・ケータイ)は日本のケータイを卑下した言い方だ、という指摘をネットで見かけた。まぁ確かにそうかもしれないが、よく考えてみるとそれってガラパゴス諸島の動物たちに失礼じゃないだろうか。
ガラパゴス諸島の動物たちが独自の進化を遂げた点に注目しダーウィンは進化論のヒントを得たという。「進化」は環境適応であって「進歩」ではないから、異なる環境に適応した生物との間に優劣はないし、ある環境に適応した生物が他の環境では優位性を発揮できないのは皆同じ。だから本来はガラパゴスの語自体に優越も劣等もないはずだ。それなのにガラケーという言葉にマイナスのニュアンスがあるならそれは「ガラパゴス・ケータイ」のガラパゴスではなくケータイの方に問題があるということだ。

ガラパゴス化「周囲とは懸け離れた、独自の進化をすること。特に、IT技術やインフラサービスなどが国際規格とは違う方向で発達すること。日本の携帯電話など、高度で多機能であるが特殊化されていて世界市場では売りにくいものについていう」(デジタル大辞泉)
電子辞書に載っている上に、ずばり携帯電話が例として取り上げられており話が早い。

日本はケータイ先進国であり、2000年から2008年にかけて毎年4000万台から5000万台の国内出荷を記録した(1)13千万人弱の日本の総人口に対して毎年40005000万台を出荷し続ければ一台目需要が一巡して買換需要がメインになり、やがて買換需要も頭打ちを迎えるのは明らかだ。販売奨励金の停止もあり2009年の国内出荷は3100万台と大きく落ち込んだ。国内市場がダメなら海外に活路を見出したい国内メーカだが、残念ながらうまくいっていない。この厳しい状況を反映して携帯電話メーカーには再編の嵐が吹き荒れ、2000年代前半には日本市場に11社(ロンドンに本社があるソニー・エリクソンを含む)がひしめいていたのが2011年春には6社に減少している(2)

ところが世界では2010年に前年比31.8%増の16億台の携帯電話が販売されたという。最も進んでいると自負してきた日本の携帯電話は完全に取り残された。
冒頭で指摘したように日本という独自の環境に適応して「高度に発達した」ガラケーが海外という異なる環境で売れなくても、それ自体は責められない。海外はシンプル志向なので高機能・多機能な日本製品は売れないという(辞書にも載っているくらいの)定番の理由がある。

だが2007年にアメリカで発売されたiPhoneに続きアンドロイド機が各メーカーからリリースされ先進国を中心にスマートフォンブームが巻き起こっている。同じネット接続を前提とした高機能・多機能携帯電話のスマートフォンが日本でも急速に販売を伸ばし始めると、ガラケーが売れない理由を国内市場飽和と海外のシンプル志向に求める言い訳が、両方とも通用しなくなってしまった。
ガラケーことガラパゴス・ケータイが揶揄される所以がここにある。やっぱり悪い(?)のはガラパゴスではなくてケータイだったのだ。

というわけで以前のエントリ「統合化とモジュール化 日本のケータイ」と同じ疑問に行きつく。
「アメリカでアップルによってネット携帯電話の「ニワトリ・卵」が解決され、ひとたびネット携帯電話のエコシステムが定着すれば、日本のガラケーもスマートフォン同様に売れるはずであるが、2011年春時点では日米ともにスマートフォンの勢いが圧倒的である。それはなぜか。」


(1) 電子情報技術産業協会(JEITA
(2) 三菱電機が撤退(2008),三洋が京セラに売却(2008),カシオと日立(2004)NEC(2010)がNECカシオ モバイルコミュニケーションズ設立,富士通と東芝が富士通東芝モバイルコミュニケーションズ設立(2010)