2011年3月21日月曜日

統合化とモジュール化 21世紀のアップル 1

1990年代、パソコンの不十分は「速度」「容量」という機能性と、「互換性」「相互運用性」という信頼性だったから、そこを統合化により解決していたインテルとマイクロソフトは我が世の春を謳歌した。しかしクリステンセンが指摘しているように、絶えざる技術の進歩によって不十分もいつか克服され、ユーザの要求を追い抜いて「十分」になってしまう。こうなると、ユーザはその性能向上に対して追加コストを負担しなくなり、その商品はコモディティ化が進行する。その結果、速度・容量と互換性・相互運用性の重要性が相対的に低下し、そこを受け持っていたインテルとマイクロソフトの地位も相対的に低下するだけでなく、彼らが受け持っていた部分のモジュール化が進行するはずである。

実際、マイクロソフトはその強大な影響力ゆえ1998年に提訴され2000年6月にはOS事業とアプリケーションソフト事業に分割される命令が出されたが、2001年11月には分割を回避する和解が成立した。この分割回避は2000年前後のITバブル崩壊やリナックス普及を背景としたマイクロソフトの地位低下を裏付けるものであり(*1)(*2)、実際にAT&Tが分割されて(1984)、強制的にモジュール化が進められたのと対照的である。

新しい科学技術は、学術もしくは研究分野で誕生し、有用性が確認された時点で企業用途に使われ、最後に一般コンシューマ向けに普及していくことが多い(*3)。この過程で信頼性は向上し、価格は低下する。この過程を新技術普及パターンと呼ぼう。もちろん、有用性や信頼性が十分でなかったり、普及価格帯まで価格が低下しない場合にはこのパターンの途中で終わることになる。
通信一般、特にインターネットは新技術普及パターンの典型的な事例であるし、昨今クラウド・コンピューティングと比較される電気の発明・普及も同様である(*4)。

2000年頃には機能性と信頼性が「十分」になったPCは、この頃からブロードバンド化が急速に進行したインターネット接続と一体となって、それまでのビジネス領域や個人のイノベーター、アーリー・アドプターを超えて一般コンシューマに受け入れられていった(*5)。なお、ここでは『キャズム』の分類に加えてビジネス向け/コンシューマ向けの分類を加えており、PCがビジネスに普及した後に一般コンシューマに普及していった点を重視している。
新技術普及パターンの重要な含意は、企業向けから一般コンシューマ向け即ち一般家庭向けへの移行に伴って製品/サービスの性格が変化することである。この変化をコンシューマー化と呼ぶことにしよう。
  • ビジネス → プライベート
  • フォーマル → カジュアル
  • 複雑で専門的 → シンプルで簡単
  • 自己責任 → 安全安心
21世紀に入ってPCのコンシューマー化はどういう経緯をたどっているのか?


※2011年6月6日:最近の考察を反映して「カジュアル化」を「コンシューマー化」に修正


(*1) 浅井(2004) pp.133-134
(*2) 既に述べてきたように、マイクロソフトはユーザを初めとするPCエコシステム参加者に便益を提供してきた点も考慮されたであろう。
(*3) Cowhey, Peter and J.D.Aronson (2009)
(*4) カー(2008)
(*5) ムーア(2002)は、新技術に基づく製品を受け入れるユーザ層を区分し、時間的な順に、イノベーター、アーリー・アドプター、アーリー・マジョリティー、レイト・マジョリティー、ラガードに分類している。ここでいう一般コンシューマは、アーリー・マジョリティーとレイト・マジョリティーをイメージしている。

<参考文献>
ニコラス・カー,村上彩訳『クラウド化する世界』翔泳社 2008
ジェフリー・ムーア,川又政治訳『キャズム』翔泳社 2002

2011年3月5日土曜日

統合化とモジュール化 interlude

筆者のアツい思いと切れ味の悪さにより思いのほか長くなっているので、ここまでの話を整理しよう。

一般に製品ライフサイクルの中で導入時は統合型であり徐々にモジュール型に移行する。モジュール型であっても内部に統合された部分が存在し、その部分的統合も徐々に移動する。部分的統合が行われるのは、ユーザが機能的に「不十分」と感じる部分と、インターフェースの固定化が不完全な部分である(*1)。

パーソナルコンピュータの世界ではIBM-PC互換機がモジュール化し、モジュールレベルでの飛躍的な性能アップが進んだ。だがモジュールレベルの性能アップがモジュール化の絶対的な優位を意味するわけではない。変化が激しい環境では製品アーキテクチャがボトルネックになるからモジュール型より統合型が優位な場合もある。
通常であれば各モジュールが大幅に性能向上を実現し続ければPCアーキテクチャが「速度」「容量」のボトルネックになるところ、そして実際にボトルネックになったのであるが、インテルが中心となってPCアーキテクチャをバージョンアップし、マイクロソフトが中心となって相互運用性と互換性を維持したため、PCは長期にわたってITの中心機器であり続けた(*2)。このモジュール型の弱点を何回も克服した点がPCの歩みの特異な点だと言えるだろう。

PCでは明確で固定されたインターフェースで区切られた先のモジュールレベルでは激しい競争が行われ急速な性能向上を実現する一方、インテルとマイクロソフトが統合型の特徴であるアーキテクチャのボトルネック解消や基本信頼性を請負っていた。即ちモジュール型と統合型の良いところを取り入れるハイブリッド型とでも呼ぶべき形態であった。
これに単純統合型で対抗したアップルは1990年代後半に苦境に陥った。

これが1980年代から1990年代後半にかけての物語。
では2011年現在、アップルが統合型で絶好調なのはなぜか。これが次の問題。


(*1) 厳密に言えば、後者はモジュール化の定義から当然に導かれる。統合型からモジュール型へ移行する条件の一つがインターフェースの固定だからである。
(*2) 別な言い方をすれば、ユーザが相互運用性と互換性を強く要求したために、断絶的な変化による性能ジャンプアップよりも、PCアーキテクチャー維持による漸進的な性能アップが選ばれた

統合化とモジュール化 二重らせん構造 6

モジュール化の典型とされるPCにおいてインテルとマイクロソフトが果たしてきた役割を考えると、PCアーキテクチャーが「速度」「容量」において技術的限界を迎えるたびにPCアーキテクチャを温存したままその限界を乗り越えてきたのは先に述べたようにインテルの優れた協調戦略に拠るところが大きかった。もちろんそれは自らが覇権を握る業界構造を壊したくなかったインテルのビジネス上の判断の結果である。
そこにマイクロソフトの協力があったのも事実だが、むしろマイクロソフトの功績は各々がすさまじい勢いで性能を上げていくモジュール、即ちハード、周辺機器、アプリケーションをつないでPCとして一体的なパフォーマンスを保証するまとめ役を努め続けたことであろう。マイクロソフトが提供してきたのはPCというエコシステム(生態系)の互換性(compatibility)および相互運用性(interoperability)だったのだ。

新たな製品として統合型でPCが導入され、各モジュールのインターフェースが公式・非公式に知られていきモジュール化が進む(*1)。この過程で、即ちインターフェースの固定化と情報共有が不完全な段階で、PCの場合は各モジュールが急速に性能を向上させ、また新たな機能や周辺機器が加わった。1990年前後にPCを自作するときに、機器同士あるいはメーカー同士の「相性」が重要だったことを覚えている方も多いだろう。これがインターフェースの固定化が不完全な例である。
PCアーキテクチャが技術的限界を迎える前にインテルが中心になってPCアーキテクチャの拡張を行った。バス、CPUの進化やUSBへの切り替え等である。このようにPCアーキテクチャが進化すると過去の資産との互換性が大きな問題になると同時に、拡張された新しい性能を活かすための新しい機器、ソフト間の相互運用性の確保もまた容易ではない。
マイクロソフトのOSはこれをカバーしてPCとして一体のパフォーマンスを保証する役割を果たしてきた(*2)。

PCの長い歴史の中でマイクロソフトはOSを通じて以下の2点を提供し続けてきた。
1)インタフェースの固定化と情報共有が不完全な段階で、モジュール間の相互運用性を確保
2)インターフェースおよび各モジュールが世代交代する中で互換性を確保

クリステンセンがモジュール構造の中で機能性、信頼性が十分でない部分が統合化される、と指摘する信頼性に該当するのがこの相互運用性と互換性である。この場合の相互運用性と互換性を基本信頼性と呼ぶことにしよう。
基本信頼性とは例えばPCエコシステムにおける関係者(ユーザに限らず完成品メーカや部品メーカ、ソフト開発者等)の「このソフトを買って帰れば家のPCで使えるだろう」とか「この部品や周辺機器は指示に従って取り付ければ問題なく動作するだろう」とか「このPCを買えば過去のソフトとデータも引き続き使えるだろう」というPCに対する期待である。

ユーザがPCに感じていた不十分は「速度」「容量」という機能性と、「基本信頼性」という信頼性であった。だからその部分はモジュール化されずインテルとマイクロソフトが担当してきたのである(*3)。

(*1) 非公式に拡散していったのがIBM システム/360の事例である
(*2) この見方はマイクロソフトの懸命の努力にもかかわらず、同社がモバイル分野で苦戦を続けている事実とも整合的である。携帯電話では使い勝手を含めてPC世界の過去の膨大な資産(むしろ負債)の互換性は重要でないから同社は優位性を発揮できない。
もっとも2010年からブームを巻き起こしているスマートフォンは携帯電話のPC化であるという筆者の見方に立てば、マイクロソフトの巻き返しのチャンスかもしれない。
(*3) インテルも基本信頼性の問題に対処するためチップセット統合やマザーボードへの進出を行っている

<参考文献>
志村拓、並木由起男、榊隆『AT互換機を256倍使うための本』アスキー 1994

2011年3月2日水曜日

統合化とモジュール化 二重らせん構造 5

「技術革新対応にはモジュール化」は正しくない。
Langlois and Robertson(1992)がパソコンの激しい変化を念頭において、モジュール化の意義として技術革新への対応を挙げて以来、「技術革新対応にはモジュール化」という見方は我々の経験に照らして当然のこととして広く受け入れられてきた。
だが「技術革新対応にはモジュール化」は正しくない。十分には正しくない、と言うべきだろう。なぜならファイン、クリステンセンが指摘するように統合型、モジュール型はそれぞれ異なる状況に適しており、異なるタイプの技術革新に対応するからだ。製品アーキテクチャ自体を変えるような大きな技術革新は全体を統合していないと対応できない。ある程度製品アーキテクチャが落ち着いてくるとモジュール化が進行し個々のモジュールレベルの技術革新に対応する。

「モジュール化も統合化も技術革新に対応する」のである。

だがこの説明は1990年代のアップルについて直感的な疑問を呼び起こす。
パソコンが成熟期に入って大きな変化がなくなりモジュール化が進んだことと、パソコンの世界では激しい変革が続いたからハード面でアップルが追随できなかったという事実を同時に説明できるのか。

1977年設立のアップルを追ってIBMが最初のパソコンIBM-PCを発売したのが1981年。それ以降、IBM互換機と周辺機器市場が急速に立ち上がったが、初期には他の独自規格PCがあったし、アップルも強い支持を得ていた。IBM-PC互換機の基本形は初期から今に至るまでさほど変わっていない。一方で処理速度、記憶容量は初期から現在に至るまで長期にわたって激しく向上し続けている。我々が1980年代から1990年代後半にかけて目にしたパソコンの熱い激動は、アーキテクチャが落ち着いた後のコンポーネントレベルの技術革新だったのだ。

それでもなお疑問が残る。
1980年代から1990年代に渡って、単にコンポーネントレベルだけではなく、バスは8 bit, 16 bit, 32 bitと上がり続け、接続コネクタもシリアル、パラレル等の専用コネクタから、汎用コネクタであるUSBと変遷した。さらにCPUが286, 386, 486, ペンティアムと変わるたびに周りのハード、ソフト、OSすべてが協調して対応しなければならない。モジュール間のインタフェースが固定されているから各部品メーカが勝手に開発、では越えられない壁をいくつも乗り越えてきたのがIBM-PC互換機の歴史だ(*1)。

例示したバス、USB、CPU。これらには共通点がある。それはインテルがコントロールしている点である。インテルは自らの担当モジュール開発にとどまることなく、周辺機器ベンダーを初めとするサードパーティをうまくとりまとめPC全体の能力をアップさせる多大な努力をしてきた。この点はガワー、クスマノ(2005)に詳しい。いわゆるプラットフォームとかエコシステム(生態系)いうものだ。
PCのハードウェア/アプリケーションソフト/周辺機器を仲立ちするのがOSである。だからインテルがPCの基幹部分のジャンプアップを行うとき、必ずOSの事前の密接な協力が必要であり、インテルとマイクロソフトの密接な協業がPCの長期発展には不可欠であった。

1980年代前半に決まったIBM-PC互換機の大枠の中で、インテルとマイクロソフトが協力して20年以上の間、速度と容量を劇的に増大させ続けてきたが、そのためには部品/周辺機器/アプリケーションソフト関係者すべての調整が必要であった。言い換えればモジュール型の弱点である、全体統括者がいない点およびモジュール間の調停者がいない点をインテルとマイクロソフトが補ってきた(*2)。これがPCの歴史を例外的たらしめている大きな要因であろう。

ファイン=クリステンセン説でまとめれば、IBM-PC互換機は早い時期にアーキテクチャとしての成熟期(安定期)に入り、モジュール化された。その後常に「速度」「容量」が常に顧客の要望だったため、「速度」「容量」向上を果たすための「十分でないところ」、即ちCPUとOSはモジュール化されず部分的に統合型となり、その結果、部品、周辺機器、アプリケーションソフトメーカーはインテルとマイクロソフトが定める固定インタフェースに則って各モジュールの性能向上に集中できた。

これで万事めでたしと言いたいところだが、ファイン=クリステンセンはこうも指摘している。
不十分であったところもやがて十分になり、顧客が追加コストを支払わなくなって再度モジュール化が進行する、と。PCにおける「速度」「容量」が十分になったら何が起きるのだろうか。

(*1) 逆に言えば、IBM-PCアーキテクチャの限界を超えられなかったなら、我々は現在もう少し素敵な「別のPC」を手にしていたのかもしれない。
(*2) 過去の資産も考慮すると、周辺機器×ソフトウェア×内部部品の組み合わせは膨大な数に上る。本来モジュール化された製品では後方互換性に誰も責任を持たないが、PCではインテル、マイクロソフトが可能な限り互換性を確保する努力をしてきた。昨今話題のアンドロイドについてこの問題はどうなるのであろうか。

<参考文献>
浅井澄子『情報産業の統合とモジュール化』日本評論社 2004
アナベル・ガワー、マイケル・クスマノ、小林敏男監訳『プラットフォーム・リーダーシップ』有斐閣 2005

統合化とモジュール化 二重らせん構造 4

クリステンセン(2003)は、モジュール型と統合型(*1)にはそれぞれ適した競争状態があるという。ライフサイクルに応じて競争状態が変化し、その変化に応じて最適な構造が選択されるべきということだ。

1)統合型
製品が十分でない状況では統合が有利である。製品が機能性と信頼性が十分でない状況では、企業はできる限り優れた製品を作る必要がある。モジュール型はインターフェースの標準化により設計の自由度が低いから、統合型の提供する機能性、信頼性にかなわない。

2)モジュール型
製品機能の向上が一段落すると、大きな変化はなく持続的部分的改善が進む。機能性と信頼性は十分なレベルに達したのだ。機能性はもう十分なので、インターフェースを固定して多少の自由度が制約されても問題ない。統合型でより良いものを提供しても顧客はそれを評価してくれない。顧客の要望は便利さや速度にシフトしてくる。これに対応するにはモジュール化が適している。こうしてモジュール化が進行する。
言うまでもなく、導入期・成長期を生き延びてきた過程で、参入をもくろむ競合企業は多数存在しており、彼らがモジュール毎に特化して侵食してくる。

3)再統合
時間の経過につれ製品が普及し、改善が進み、やがて顧客が重視する機能がシフトする。例えばパソコンの機能性と信頼性が向上し業務用途もこなすようになると、顧客の要望はマイクロソフトのOSと明確なインターフェースでつながったサードパーティのソフトウェア、例えばワードパーフェクトやロータス123を使うようになった(モジュール化)。さらにソフトウェア同士のデータやり取り(テキストファイルに限らず罫線、図形、計算式と値等々)が要求されるようになると、ふたたびその分野は十分でないことになり、マイクロソフトがOSとアプリケーションソフトの統合を行ってこれに対応した(統合化)。

再統合について、もう少し説明しよう。
ある製品が導入され成長する過程では製品の姿はしばしば変更され安定しないが、成熟期に入ると大きな変更は少なくなる。ここでいう製品の姿とは乗用車で言えば4本のゴムタイヤ、ハンドル、ブレーキとアクセル、エンジン、座席と荷室といった要素の組み合わせだ。これらをアーキテクチャという。成熟期に入って製品アーキテクチャが安定し累積ユーザ数が増大すると、顧客の要望がシフトしたときに影響を受けて統合化されるのは全体アーキテクチャの中の一部分である。パソコンならインテルCPU、マイクロソフトのOS、ハードディスク、キーボード等のアーキテクチャが定まったあと、その中で例えばOSとアプリケーションソフトの統合が起きる、ということだ。

従ってモジュール化から再統合化への流れはファインがいうような完全なゆり戻しではなく、あくまでもモジュール化構造の中で部分的な統合化が生じる、ということになる(*2)。

ファインの二重らせん構造をクリステンセンの指摘に伴い若干調整して製品ライフサイクルと重ね合わせると以下のようになる。

ライフサイクル
導入期
成長期
成熟期
衰退期
統合/モジュール
統合型
モジュール型
(部分的統合)
性 能
不十分
十 分


ここでクリステンセンによる1990年代のアップル凋落の説明を引用してみよう。

「パソコン産業の草創期には、独自アーキテクチャを持ち、最も統合化の進んだ企業、アップルコンピュータが、ずば抜けて優れたデスクトップコンピュータをつくっていた。これらはモジュール構造のコンピュータに比べて使いやすく、クラッシュの頻度も低かった。やがて、デスクトップ・コンピュータの機能性が十分上がると、IBMのモジュール型のオープンな標準アーキテクチャが優勢になった。十分でない状況では競争優位だったアップルの独自アーキテクチャは、十分以上に良い状況では競争の障害となった。モジュール式マシンを製造する特化型メーカーがパソコン産業の爆発的な成長を捉えると、アップルはニッチ・プレーヤーの地位に追いやられた。」(*3)


(*1) 同書では相互依存型となっているが、ここでは統合型としている
(*2) 実際には成熟期・衰退期には企業の水平・垂直統合が相当程度進むことがあるが、それはここで論じているモジュール化/統合化とは異なる要因によるものである。それらについても後ほど考察しなければならない。
(*3) クリステンセン(2003) pp.165-166

2011年3月1日火曜日

統合化とモジュール化 二重らせん構造 3

以前も書いたが、2000年のIT革命の騒乱の中で畑違いの分野からICTベンチャー創業に参加した。当時最先端だったウェブ制作やネット通販ではなく、地味な通信系だった。白状すると、ネット系と通信系が別々とみなされている、もっと言えば仲がよろしくない、というのを知ったのはだいぶ後になってからだ。まあでも、インターネットを広めたいという目的を果たすには間違っていない選択だった。
で、2000年の転職以来、しばらく仕事が忙しかったのでIT革命の意味とか今後を考えることから遠ざかっていたのだけれど、5、6年前に仕事が一段落したこともあり、社会人大学院(MBA)の門を叩いた。

入学してベンチャー論の関係文献を読んでいったのだが、実務家としてかなり違和感を感じることが多かった。それは2000年頃以前と以後では良くも悪くもベンチャーを取り巻く環境が大きく変わったので、2000年以前の文献を読んでもピンとこないのだ。会社を作って新興市場(現ジャスタックのこと)に上場するのに平均30年以上とか、それを前提にしたメインバンクからの借入れのポイント、とか言われても困る。問題は状況の変化であって、もちろん研究者のせいではない。

そんな中でベンチャー論とは関係なく読み始めたクリステンセン『イノベーションのジレンマ』に衝撃を受けた。大会社が小さな会社に倒される。そしてそれは経営者の失敗ではなく当然の成り行き。新しい事業には小さな会社が向いている、というメカニズムを理路整然と説明しているのだ(*1)。それを読んで、あぁベンチャー論で自分がやることはない、と悟りを開いた(*2)。

で、本題。
そんな我が心の師匠クリステンセン先生が、クリステンセン(2003)で統合化とモジュール型に言及している。しかもファイン(1999)の二重らせん構造、すなわち製品ライフサイクルの中で統合化/モジュール化が繰り返すという見方をベースに(*3)。

(*1) 同書は大企業側の視点で記述されている
(*2) それは筆者の心中の叫びであり、実際には研究テーマは事例にせよ実証にせよ、たくさんありますので、やる気のある方はふるってご参加ください
(*3) クリステンセン(2003) p166

<参考文献>
クレイトン・クリステンセン、伊豆原弓訳『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』翔泳社 2001
クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー、櫻井裕子訳『イノベーションへの解』翔泳社 2003